「欲望」と「向上心」の密接なつながり~『夢』を『目標』に変えるためにできること~
息子に対する私の夢は、大きな変化の道をたどってきました。
障害の有無に関わらずに、子供を持つ親なら気にするであろう将来のこと。
特に発達に問題があると、この子供の将来に関しては強く気にしてしまう部分です。
未熟児で産まれて、軽度知的障害と言語発達遅滞を患い、5歳までまともに話すことができなかった息子に対して、まず不安になったことは「この子はどうやって生きていくのかな?」ということ。
幼少期、コミュニケーションはとれるけれど、落ち着きもなく、宇宙語ばかりだった宇宙人。↓
会話ができることを想像することさえもできずに、途方に暮れていたあの頃・・・
当時の私の夢は『息子は障害者を受け入れてくれるパン屋さんで働けたらいいな』というものでした。
小学校も中学校も支援級に通って、就職先はパン屋さん!というイメージだった私。
あとは、私がしっかりと貯金をして、細々と暮らすことができればいい・・・
ただ、息子が食事を拒絶するようになった時期には、そんな些細な夢さえも忘れてしまうほどに追いやられ、ただただ「食べられるようになってくれたらいい・・・もうこのまましゃべることができなくても・・・」と思うほどでした。↓
でも、再び食事を摂れるようになった息子に対して感じたことは「早くしゃべってほしい・・・」という強い欲望。
「もう、しゃべらなくてもいい・・・」と心から思うことができたのに、一つ「食べれるようになってほしい」という欲望を満たした先には、更なる欲望が待っていました。
そして、会話ができるようになってきたら、次は「通常級に行けるかな?」という欲望が・・・↓
そして、またその欲望を満たし、順調にその生活を送っていた先には・・・
「通常級のまま進学してほしい」という欲望が。
小学校入学時はいつ支援級に異動してもいいと思っていたのに・・・
そうしているうちに、大学が視野に入ってきて・・・
どんどんどんどん、沸き起こってくる欲望。
そう、今の私の夢は・・・
『息子が大学に行きたいと言った時に、行かせてあげたい・・・』というもの。
ここで重要なのは、大学に行かせたいのではなく、本人が希望したらその時大学進学も選べるような状況を作ってあげたいということです。
生きる道は他にもたくさんあるけれど、将来、少ない選択肢から選ぶよりも、その選択肢の幅を広げて、大きく成長した息子がしっかりと自分の意思で道を決められるようにしてあげたい・・・
これは、それだけ息子が成長を遂げてくれているということです。
だって、その成長がなければ昔の欲望のまま・・・
その欲望が一つ二つと満たされていくことによって沸き起こった今の欲望・・・
これら以外にも、一つできるようになれば、「次はこれ!次はこれ!」と細かなことまでたくさんの欲望が溢れてきました。
まさに、人間の欲深さといったところでしょうか。
『ご飯を食べられるようになってほしい』という欲望から、『離乳食に戻して、頑張って食べさせよう!』という向上心につながり・・・
『しゃべれるようになってほしい』という欲望から、『寝ている時以外は常に話しかけて、発音訓練を頑張って、絵本をたくさん読んであげよう』という向上心につながり・・・
『通常級で頑張ってほしい』という欲望から、『通常級で本人が困らないように、しっかりと事前準備とサポートをしよう』という向上心につながり・・・
『テストで平均点はとってほしい』という欲望から、『引き続き一緒に勉強を頑張ろう』という向上心につながり・・・
『通常級のまま、中学へ進学してほしい』という欲望から、『頑張る一色になることなく、心のバランスをしっかりと考えて生活していこう』という向上心につながり・・・
こうして、幼少期、夢を見ることさえできなかった【大学】を夢にすることができました。
「障害者としてパン屋さんで働けたらいいな・・・」という夢から、「大学を選択肢の一つにできたらいいな・・・」という夢への大きな変化。
ただ、ここで気をつけなければいけないことは、あくまでもこれは『夢』であり『目標』までにはできていないということ。
この今の『夢』を『目標』に変えることが、今の『目標』です。
大学を視野の一つに入れるためには、今まで同様の「欲望」と「向上心」が必要になってきます。
今までは私の「欲望」で良かったのかもしれないけれど、今後はもう小学校後半戦を迎える息子の「欲望」がとても重要になってきます。
「何もせずに、毎日をダラダラ過ごしていたい!」
「ずっと、遊んで暮らしたい!」
これも立派な欲望です。
そうなってしまわないように・・・
まずは、親子の信頼関係を大切にし、環境を整え、たくさんの前を向いた「欲望」を持つことが大切。
その「欲望」が「向上心」へとつながり、『夢』や『目標』を変化させ、自らの道を切り開いていくのです。
「植物」と「子供」の共通点~生命力を発揮するために必要なこととは~
息子は動物や昆虫、植物など、生き物が大好きです。
何か物を欲しがる時は、だいたい生き物関連グッズ(^^)
ぬいぐるみや置物、ゲームやおもちゃ、ガチャガチャまでも生き物に反応します(笑)
将来の夢だって、猫を飼いたいとか、牧場で働きたいとか( *´艸`)
もっと幼い頃は、車や電車などの乗り物に夢中だったけれど、今はいつの間にか生き物一筋になっています(^^)
そんな息子が最近欲しがったものが、パンジーのお花🌸
どうやら、ゲームの世界でパンジーを集めていて、現実の世界でも欲しくなった様子。
そこで、普段頑張っている子供たちにご褒美として、先日買ってあげることにしました。↓
もともと一つずつだった約束が、急遽、お花屋さんの前に行った100円ショップで娘が欲しがったふわふわバックを購入した経緯があり、息子はお花を二つ買えることに(笑)
一つだと思っていた息子は、急に二つのパンジーを購入できることになって、テンションアップです(笑)
「帰ってから、今日の勉強頑張るよ!」って、たった120円のパンジーでそこまで気持ちがアップしてくれてありがたい( *´艸`)
そんな息子はお花屋さんで目を輝かせながら、色とりどりのパンジーを物色。
最終的に白と黄色のパンジーに決めた息子は、そこからがまた長い(^-^;
今度は同じ色で花の大きさとかつき方などを比較して(笑)
ようやく決まったお気に入りのパンジーを、大切に大切にカゴに入れていました。
娘はパンジー以外のお花も物色していましたが、結局息子と同じパンジーを購入。
娘が選んだのは赤色でした。
帰る途中、パンジーの入った袋を、お花がつぶれないように大事に広げて持っている息子と、そのまま普通に袋を持つ娘(笑)
パンジーへの愛情の違いがよく現れています(笑)
と、帰宅して中身を確認すると・・・
娘のお花が折れてしまっている・・・
でも、娘は・・・
「また、これからどんどん咲くから大丈夫だよ!」
そうなんです。
大切に育てていれば、またつぼみが膨らんで大きな綺麗な花を咲かせる。
トラブルが起きたり、風が強くて、お花が折れてしまっても、水を与えて日当たりのいいところで育てていれば、どんどんいろいろなところからつぼみが出てきて、たくさんの花を咲かせる。
実際、娘のパンジーも新しい命が芽生えています。
なんだか、「植物」と「子供」って、似ている部分があるんだな・・・と感じました。
くじけそうになった時、気持ちをコントロールできない時、辛い時、苦しい時・・・
子供自身もたくさんの苦難と戦っているけれど、親が周りの大人たちが・・・そして友達も含め、その子に関わる全ての人たちが、その子を想う気持ちを大切にして、その子にあった環境を用意してあげれば、かかる時間はそれぞれであっても、きっと再びその子は花を咲かせることができるはず。
でも、お水を一切与えなければ、植物は枯れて再び綺麗な花を咲かせることはないのと同じように、一番大切な「愛情」・・・すなわち周りが「想う心」を失くしてしまったら、その子は再び花を咲かすことなく枯れてしまうでしょう。
また、『みんなそれぞれ』ということに関しても、子供と植物には大きな共通点があります。
夏休み前に息子が学校から持ち帰った、青々と葉を茂らせたホウセンカ。
本来であれば、夏休み中に花を咲かせて、実をつけて種の観察までする予定でした。
ただ・・・
いつになっても花を咲かせることのないわが家のホウセンカ・・・
夏休みが終わるギリギリまで待ちましたが、そのまま花を咲かせることはありませんでした。
そのため、葉の観察のみを行い、他はネットで調べて宿題を提出。
先生にそのことを報告すると、「今年のはなかなか花が咲かないようですね(^-^;」と他の子供たちのホウセンカも咲かない事態が発生していました。
もちろん、「しっかりと花が咲きました!」と言っている子供たちもいて。
その後は「もううちのは咲かないかな?」と思いながらも、毎日水やりをして日光を当てていたところ・・・
約1カ月が経った頃でしょうか・・・
諦めかけていたつぼみを発見!
そこからは、あれよあれよという間に綺麗な白い花を咲かせて、寒くなった今もなお、葉を減らしながらも花を咲かせ続けています。
植物もみんな同じではないんだな・・・
それぞれのタイミングがあるんだ。
もし、あのまま諦めて水やりをやめていたら、この綺麗な花を見ることはなかった・・・
きっと、子供たちにもこのホウセンカのようにタイミングがあるはず。
それぞれのタイミングで力を発揮するためには、『継続した周りのサポート』が必要なのだと思います。
植物も子供も怪我や病気をしたら治療をして、その時々の状況によって、日陰が必要なのか日向が必要なのかを見極める。
なんでもキーワードになってくるのが「継続」・・・
継続の力ほど、強いものはありません。
親の愛情をエゴという人もいる。
親が子供を想う気持ちを押し付けという人もいる。
でも、子供も植物も共通して必要なものは、周りが大切に育てる気持ちを継続させることです。
それさえあれば、それぞれのタイミングでそれぞれの強さで道を切り開いていくのだと思っています。
そして、一番大切なことは・・・
その都度、人生には「辛い時期」と「楽な時期」の波があることを、子供と一緒に確認すること。
その波がゆるやかに来る人もいれば、嵐のように来る人もいる・・・
でも、わが家のパンジーのように、そしてホウセンカのように、何が一番大切なのかを理解できれば、再び頑張る意欲や元気の源が溢れてくる。
植物の生命力を感じることで、それを自分の生命力に置き換えられるように、しっかりと説明していきたいと思います。
そんな経緯もあり、もともとの鋼のハートを更に強くした息子くん。
本当に大きな波から小さな波まで、スルスルと乗り越えていってくれています(^^♪
普段、新しく買ってもらったものを、枕元に置いて一緒に寝ることが多い息子くん。
さすがに、パンジーと一緒に寝ることはできないので、朝と学校から帰ったあとと、夜に様子を見に行っています(笑)
ホウセンカも含め、自分が大切にしている植物の力強い生命力をしっかりと感じ取ってほしいと思っています(^_-)-☆
これからも、大切に大切に育てていこうね!
⑮初めての発達検査~2歳8カ月【新版K式発達検査2001】を受けた結果~
前回のあらすじはこちら↓
療育センターの初回面談を受けてから数カ月がたち、ようやく息子は発達検査を行うことになりました。
そういえば、1歳9カ月頃に「えい!」「ばん!」といった掛け声を発するようになった息子が、約1年をかけて言えるようになった言葉が発音不明瞭の「パパ」「ママ」「じぃじ」「ばぁば」でした。
はっきりとその音で発することができなくても、確かに相手を見極めて言葉を選んでいる。
そんな大きな変化を感じていた2歳8カ月、療育センターにて【新版K式発達検査2001】を受けることに。
その結果は・・・
【生活年齢】2歳8カ月
【発達年齢】1歳11カ月(DQ71)
【姿勢・運動】2歳4カ月(DQ79)
【認知・適応】1歳10カ月(DQ69)
【言語・社会】1歳11カ月(DQ70)
よって、軽度精神遅滞(いわゆる知的障害)の水準です。
ただし、私の印象は言語領域が当時思っていたよりも高かったこと。
これは発語を重視するものではなく、言葉の理解力を重視する検査であったことが影響していたと思います。
確かに、息子は言葉を話すことができなくても、私の問いかけなどに対して、表情やジェスチャーなどで一生懸命に自分の意思を伝えようとしていました。↓
◇検査時の息子の様子
粗大運動面は、日常生活に大きな支障はないと思われるが、微細運動面については、折り紙や描画の際に稚拙さが認められる。
認知面は、見たままで用途がつかめるような課題内容(積み木つみやパズルなど)への取り組みはスムーズであったが、モデルに注目後、模倣はせずに、強要されたと感じると用具を払い落とすなどして拒否することが時折あり。
言語面は、表出に対して理解が先行している。他者への伝達意欲はあり、発声・発語・指さし・表情などを複合的に用いながら、自分の要求や報告を行うことができている。
理解は、簡単な2語文程度の指示が可能で、関心の有無に左右されることがあるが、傾聴姿勢は比較的良好。
対人・コミュニケーション面では、視線は合い、表情豊かで、対人交流は自然。コミュニケーション意欲は高く、他者との関わりを楽しむことができる。
検査時、着席行動は持続せず、課題の合間に立ち歩きがあったが、新規の課題への反応が良好であるために、声かけしつつ促すと、期待感を高め席に戻ることができた。
以上の様子からも分かるように、幼い子供の発達検査はその時々の子供のコンディションに左右される場面もありますが、大まかな特徴や傾向はしっかりとこの発達検査で結果が出るものだとも感じました。
2歳8カ月といったら、もうしっかりと大人の言葉を理解して、自分の気持ちもスムーズに話すことができる年齢だと思いますが、上記にも書いてあるように当時の息子は話すことはおろか、理解も簡単な2語文のみ・・・
これは普通の発達ではないな、ということがお伝えできたのではないかな?と思います。
発達指数はDQ50~70または75が軽度精神遅滞とされています。いわゆる知的障害です。
この数値が低ければ低いほど、重症度が変わるというもの。
また、この数値は「70または75以上であれば正常ですよ!」というものではなく、正常域に達するまでにグレーゾーンという領域もあるんですよね(-_-;)
学校の通常級に通うには、担当の小児科医によると85はほしいとのこと。
そりゃそうですよね、だって健常児の平均が100なのですから。
よって、約DQ70のところを最低でも15は伸ばしたい・・・
こうして、この発達指数を意識した療育が本格的に始まったのです。
ただ、この時は次の発達検査で数値が下がることも知らずに・・・
もしも魔法が使えたら・・・~超現実主義の私が、ふと現実から離れる時のこと~
もしも魔法が使えたら、一番に叶えたいことがあります。
もしも、一つだけ願いを叶えることができたら・・・
それは息子の吃音を治してあげること?
息子の能力を全て人並みにしてあげること?
いいえ、そうではありません。
この世には神も仏も存在せず、魔法も超能力もない、幽霊も架空の世界の話で、占いも宗教も全く興味がないような、超現実主義の私。
(それぞれの生き方、考え方、価値観、信仰を否定するものではありません)
そんな私が、ふとたまに「神様がいたら・・・」「魔法使いがいたら・・・」などと考える時があります。
それは・・・
私の姉の不治の病を治すこと。
上記記事のように、お姉ちゃんはもう23年間も体の不調と戦っています。
しかも、ここ数年は年々状態が悪化・・・
もっと前は不調ながらも普通に歩けていたのに、やがて外では杖をつくようになって・・・
そうしているうちに、「もし、外で何かがあったらどうしよう・・・」といった恐怖心と、もう長い距離を歩くことができない体の状態とが合わさって、あれよあれよという間に外出することができなくなってしまいました。
全く外に出れなくなってからは、半年以上が経っています。
こうして、都合がいい時は息子と娘を連れて実家に帰っている私。
だって、お姉ちゃんの宝物は私の子供たちだから・・・↓
だから、この土曜日はいつものように実家に帰る予定でした。
でも金曜日にお姉ちゃんから連絡があって・・・
「体調悪化した。家でも杖ついたり、ハイハイしたりしてるから、明日は来ないで。」
普段、目に見えない存在を信じることのない私・・・
ただ、こうした時には「神様はどこまでお姉ちゃんを苦しめるんだろう・・・」とか、「魔法の薬があったらいいのにな・・・」とかって思うわけです。
神経や筋肉などの問題のため、簡単に死ぬことさえも許されない拷問状態。
現代の医学では治すことのできなかった不治の病です。
むしろ、手術によって余計に状態が悪化してしまったというやり切れない思い・・・
でも、医者も人間。
神様でも魔法使いでもない・・・
常に体の具合が悪いのを基本として、その悪いなりの中にもましな時と悪化状態の時が繰り返されています。
そんな今は悪化状態の時期・・・
息子のことに関しては、「何かにすがる思い」ではなく「自分の努力でどうにかする」といった気持ちが強いにも関わらず、お姉ちゃんのことに関してはもう完全に現実の世界では解決できない状態・・・
「努力」でも「思考」でも逃れられないものがある・・・
それは、慢性の体の痛みや不快感・・・
どんな方法でも逃れることのできないものに取りつかれた姉の23年。
超現実主義の私が、唯一現実にないものをふと想像すること・・・
それが、何も解決することができないままあらゆる方法をやり切ったあとに残された思考なのかもしれません。
ただ、ふと「神様」とか「魔法」とかっていう言葉が頭の中に浮かんでも、現実は何も解決することがない・・・
だから、私の中には神も仏も魔法も超能力も霊の世界もありません。
結局、物事を解決するのに必要なのは自分の考え方。
お姉ちゃんの不治の病は解決することができないけれど、体が健康である限り、私は自分をしっかりと強くもって、前を向いて生きていく。
毎日、元気にはしゃぎまわって、もりもりご飯を食べている息子は最大の幸せを手に入れています。
その最大の幸せさえ手に入っていれば、あとは考え方次第でどうにでもなる。
「体に痛みや不快感がない」という状態が私にとっての最大の幸せなのです。
幸せに生きるか不幸せに生きるかは自分次第・・・
お姉ちゃんから学んだ大切なことを、しっかりと息子と娘にも受け継いでいこう。
そうすれば、きっと荒波ある人生を強く生きていけるはず。
一番、気遣わなければいけないのは体。
完全に体を壊してしまった先には、簡単には解決することのできない世界が待っています。
そんな過酷な状況の中でも、必死に精神力のみで生きている人がいる・・・
それが、私のお姉ちゃんです。
そんなお姉ちゃんに今朝メールをしてみたら、普段と全く変わらない元気な雰囲気。
なにこの人・・・
すごすぎる・・・
元気じゃないはずなのに、元気を感じる・・・
メールをしている間も、体の痛みと不快感に襲われているのに・・・
私はそんなお姉ちゃんの存在だけで、何でも頑張れるような気がします。
ちなみに、メールの内容は「昨日購入したパンジーの話」と「ゲームの話」(笑)
「体大丈夫?」なんて連絡はしません(笑)
だって、大丈夫じゃないから(笑)
あえて、普通の話をする。
お姉ちゃんの状況を考えずに、お出かけした報告や楽しかったことを連絡したりする。
それを、一緒に「いいね!」「良かったね!」と喜んでくれる人が私のお姉ちゃんです。
七五三って6歳でやったらだめですか?~価値観の共存は不可能なのか?~
今日は七五三ですね(^^)
わが家は先日一足先に娘7歳のお祝いを済ませました。↓
前回は息子が4歳、娘が2歳のときにいろいろあったなあ・・・
この時の七五三には少々苦い思い出があります。
もうこのブログを読んでくださっている方はご存知だと思いますが、息子は未熟児で産まれて軽度知的障害と言語発達遅滞を患い、5歳までまともにしゃべることができませんでした。
他の子よりも落ち着きがなく、理解力も乏しかったため、息子が5歳になるとはいっても私にとったら2歳なのか?3歳なのか?4歳なのか?よく分からない状況でした。
毎日、療育を行って、幼稚園に通わせて、3食の食事を追いかけまわして食べさせるだけで手一杯の時期。
小学校はどうする?支援級がいいのか?通常級で行けるのか?・・・
と、常に頭の中は落ち着かない状態。
更に当時、体にあらゆる症状(自律神経?パニック障害?蕁麻疹?難聴?霰粒腫?閃輝暗点?食欲不振?などなど)が一気に出て、身も心も限界状態・・・
そんな私は、「そういえば、男の子は5歳になったらお祝いするんだっけ・・・?」という状態でした。
12月が誕生日の娘は七五三当日でもまだ2歳。
前撮り撮影をすることも考えると、早めの準備が必要です。
体も小さめの娘はまだまだいろいろな意味でおぼつかない・・・
普段、帽子を被ることさえも、髪を結ぶことさえも拒否していた娘に七五三の装いをさせられるのか?
どうせお祝いをするのであれば、落ち着いて笑顔の写真を撮りたいな・・・
息子にとっても、娘にとっても、私にとっても・・・
来年にした方がいいんじゃないか・・・
そう思った私は旦那さんと母と姉に相談。
(私の父はいつも自分が思ったようにやりなさいというタイプです)
みんなの考えは一致して快諾してくれました。
ただ、義父と義母だけは・・・
「ありえない。そういうものではない。間違っている。」「日取りも11月15日を過ぎるのはだめ。」の一点張り。
再度、息子の状態、娘の状態、自分の気持ちの説明を試みると・・・
義父は激高し、「もう俺は行かない」と。
日本の伝統に重きを置く旦那さんのご両親にとって、私の考えは邪道でした。
何度説明をトライしても、話は平行線・・・
平行線というよりも、もう私の考えは聞く耳持たずです。
この先、何十年ものお付き合い。
もし、これ以上私の考えを貫き通して、七五三を延期にするということになれば、大きな溝が作られてしまうことは確かでした。
自分のためにも、子供たちのためにも、旦那さんのためにも、私の幸せを願う実の両親のためにも・・・
そして・・・
何よりも家族関係を円満に保ちたい私は、自分が変わることを決意しました。
だって、普通は男の子は5歳で行うものなのだから・・・
普通は・・・普通は・・・普通は・・・
6歳なんておかしいよね?
私が変なことを言っているんだ・・・
そんな「普通」という概念に悩まされた私。
変わらない相手を前に変わる選択をした私は
「息子5歳、娘2歳のタイミングで七五三を行います。」と言いました。
ただ、一度大きく崩れた関係をその一言で立て直せるとは思いませんでした。
そこで私は自分の中にある深い思いを文字にしたためることに。
『今回、七五三の件で不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。きちんと自分の思いを伝えたく、お手紙を書きます。
私が七五三を来年に延ばしたいと言ったのは、いいかげんな気持ちではありませんでした。
私は何もかも発達の遅い息子と生活しているうちに、一般的な物差しで息子を計ってはいけない大切さを学びました。
だから、息子のペースでの七五三があっても良いのではないかな?と考えるようになりました。
娘の状況を考えても、一年延ばすことによって、少しでもみんなが落ち着いた七五三を迎えることができるのではないかと。
ただ、子供たちを想ってのお父さんお母さんの気持ちもよく伝わってきました。
私は争う気は全くありません。お父さんとお母さんの考えを否定するつもりも一切なく、家族は仲良くしていくものだと思っています。
今まで私が育ってきた環境や自分自身の価値観によって、今後も考えに相違が生まれることもあるかとは思いますが、その都度、どちらが正解でどちらが不正解という判断ではなく、お互い歩み寄りの精神で仲良くしていければと思っています。
七五三どうぞよろしくお願いします。』
当時はもっと長い内容でしたが、ざっくりとこんな感じです。
「争いたくない、仲良くしたい・・・」という、率直な気持ちを伝えることによって、二人の気持ちを解きほぐすことができました。
今回、大きな問題となったのは、一年延ばすことによって11月には9月生まれの息子が満年齢で6歳を迎えてしまうということ。
確かに、七五三というものは、
3歳男女:髪置(かみおき)…剃っていた髪を伸ばし始める
5歳男子:袴着(はかまぎ)…初めて袴をはく
7歳女子:帯解(おびとき)…着物を結んでいた紐をといて帯を結ぶ
といった、昔の儀式が関係しているようです。
ただ、一番の目的は何なのか?
それは、子供の成長をお祝いすることです。
息子が、娘がしっかりと成長したと心からお祝いするためには、当時の私の心境では難しかったということ。
形だけの儀式になってしまうよりも、心からの気持ちでお祝いしたい・・・
という思いが強かったんです。
ただ、いざ本番。
前撮り撮影も神社のお参りも、二人ともぐずることなく落ち着いて笑顔で終えることができて・・・
こんな奇跡ってあるのか・・・というくらいに。
日々の日常に疲れ切っていた私に足りなかったものは「チャレンジする心」だったのかもしれません。
常に守りの体制に入っていた私。
一般的なタイミングに合わせなくても、少しでも楽にできる可能性の高い来年に延ばしたい・・・
これ以上、大変な思いをしたくないという気持ちが強かったのだと思います。
でも、この七五三に関しては、こういった発達の問題だけでなく、それぞれの事情によって悩みを抱えるご家庭もあるのではないでしょうか?
今は昔と違って、年齢の数え方にも「数え年」「満年齢」とあったり、七五三を行う日も11月15日にこだわらなくてもいいと、融通が利くようになっています。
それであるのならば、年齢もその子に合った、その家族に合った、それぞれの価値観に合った時期で選んではいけないのだろうか・・・?
そもそも、七五三とは必ずしも行わなければいけないものではありません。
金銭的な事情で難しいご家庭もいらっしゃるのでは?
法に触れるわけでもなく、誰かに迷惑をかけるものでもない七五三をもっと現代に見合った方法で選択できればいいなと思いました。
子供の成長を喜ぶ気持ちはいつの時代もみんな同じ・・・
その方法は1つでなくてもいい・・・
いろいろな形があってもいいはず・・・
昔の文化に重きを置くことも大切ですが、今の文化を作っていくことも大切です。
時代は常に変わっているように、そういった風習や文化に変化が生じてもおかしくないと思います。
昔を大切にする価値観、今を大切にする価値観、どちらもが共存できる世の中になっていくことを切に願っています。
子供に『自分に甘く、人に厳しい』を自覚させる大切さ~相手の気持ちを想像する力を養おう~
ある日、とっても暗い顔で学校から帰ってきた息子。
「はあ・・・疲れた。〇〇くん嫌だ。」「もう学校行きたくない。」
現在、小学校3年生の息子が「学校に行きたくない」と言ったのは、これで2回目。
前回は2年生の時でした。←この時のはまた改めて!
まずは聞き取り調査です(^^)/
「どうしたの?」
「〇〇くん、自分ができない時に足をバタバタさせたり、すごい文句を言ったりするんだよね。」
「〇〇くんが違うことしている時に僕が注意をすると、嫌な顔もするし。」
どうやら、10月の席替えで隣になった男の子の気持ちの変動についていけないようでした。
「お母さんから先生に言ってほしい・・・」と。
そこで、私は事実確認のために先生に連絡をしました。
すると、先生は「そうなんですよね。思い通りにならないと、癇癪を起こしやすい子なんです。」「それとなく、二人に気持ちを聞いてみますね。」とのこと。
その結果、息子が一番嫌な思いをするのがリコーダーの時間で、その子がいつもイライラしているので自分が授業に集中できないということ。
ある日、その子が適当に指を動かしていたので、「ふざけたらだめだよ」と息子が注意したことがあったようです。
でも、その子としては「一生懸命にやっているのにどうしてもできないから、指を止めるのはだめだと思ってとりあえず動かしていたんだ」という理由があったようで、その時はそういった説明ができずに嫌な顔をしたんだ、と。
リコーダー以外の件については、自分ができない時や注意を受けた時に頻繁に癇癪を起こしてしまうことを自覚しているということでした。
そこで、先生は「癇癪を起こすとみんなもびっくりしちゃうし、その都度何を練習したらいいのかな?とか、どうすればできるようになるかな?ということを考えてやってみた方がいいよ」とその子に説明をしたようです。
そして、「次同じようなことがあったら、席替えを考えるからね」と。
ん?
そういえば、学校でその話し合いが行われた日、息子が「1回だけチャンスをあげたんだ(^^)」と帰ってきたんです。
チャンスをあげる?
息子が上の立場になっているのか・・・(-_-;)
まずは、その子がどうして癇癪を起こしてしまうのかの原因を探すべきと思った私は、「全般的に苦手なことが多い子なんですか?」と先生に聞きました。
すると、その子は特にリコーダーが苦手なようで、他のことは比較的できる子ということ。
つまり、いろいろなことができるからこそ、自分にできないことがあると抵抗を感じてしまう。
まさに、娘タイプ。↓
「癇癪を起こすな!」というよりも、「工夫してできるように頑張ろう!」というよりも・・・・
できないことがあっても大丈夫だよ(^^)
を伝えることが大切なのではないだろうか・・・
だって、今までは何でもできていたかもしれないけれど、そのリコーダーのようにこれから勉強も何でも難しくなっていけばできないことも出てくるはず。
全部が得意で何でもできるスーパーマンはこの世にはいない。
だから、できないことは自分のペースで頑張って、できることをしっかりと努力していけばいい。
できないことがあることが当たり前なんだよ・・・
だから、できないことがあってもいいんだよ(^^)
「癇癪を起こしたらだめ」と言われたら、余計にプレッシャーがかかってストレスを抱えて、できないことへの恐怖心に変わってしまわないだろうか・・・
しかも、できないことにストレスを抱えるのはみんな同じ。
たまたま癇癪が目立つ子が隣になって息子は嫌な思いをしたのかもしれないけれど、そんな息子だって何かできない時にイライラしたりしてるよね?
まさに、自分のことは棚に上げて・・・
自分に甘く、人に厳しい。
これでは、だめですね。
自分もその子の苦しい気持ちを経験しているからこそ、もっと相手の心情を想像できるようにならないと。
だから、私は息子にこう言ったんです。
「公文の算数F教材。どうしてもできなくて苦しかった時、あなたもすごいイライラしていたよ。」
「できないことがあったり、自分の思い通りにならない時に嫌な感情になることは当たり前のこと。」
「だから、そんな時はその子も頑張っている時なんだよ。」
「だめだよと言うよりも、大変なんだね、頑張っているんだね、と言ってあげればいいんだよ。」
と、私なりの考えを伝えました。
すると、そんな話をしている最中に、息子は「もうそれ以上言うな。分かったから。」って、それ以上家でその子の文句を言うことはなくなりました。
教育方針はみんな様々・・・
先生のやり方と私のやり方。
どちらが正解でどちらが不正解というものではないと思います。
だから、私は自分の子供には自分の教育を行うけれど、他の子に対してまでは首をつっこむ立場ではないと思っています。
癇癪はだめだよと言われて、本人も納得しているとのこと。
だから、それでその子がうまく気持ちをコントロールできるようになれば、それはそれで一件落着なのかもしれません。
もちろん、どちらの方法をとったとしても、気持ちのコントロールはそんな簡単にできるものじゃない・・・
その子も息子も・・・
だから、都度どうすべきか、どう考えるべきかを一緒に話し合っていくことが大切なのだと思います。
ファンタジーキッズリゾートで唯一楽しくなかったこと~「お金持ち」って実はうらやましくない?!~
昨日のブログで『日本最大級の屋内遊園地に行ってきました!』といったことを書かせていただきました。
その日本最大級の屋内遊園地とは・・・
『年会費』+『料金パック』で施設内の遊具が全て遊び放題というもの。
先日は遊び放題プランで入園したので、時間を気にすることもなく、ゆっくりと遊ぶことができました。
上記のホームページを見ていただけると分かると思うのですが、施設内はとても広く、遊具の種類が豊富で、丸一日いても子供は飽きません(^^)
料金システムもお手頃で、コスパはいいと思います!
更に、基本的に施設内の遊具は大人も一緒に遊んでいいものばかりなので、親が子供を見守るというよりかは、親子で一緒に楽しむことができました(*^^)v
そんな親も子も大満足のファンタジーキッズリゾートですが、唯一私が楽しくなかったことが・・・
それは・・・
ゲームコーナーにある❝メダルゲームも遊び放題❞ということ。
大きなケースの中にメダルが大量に入っていて、一応『一回一人20枚まで』といった内容が書かれているのですが、もう「ご自由にどうぞ!」状態(笑)
早速、私と娘は各々好きなメダルゲームを開始!
その頃、旦那さんは違うゲームをしていました(笑)
少しして・・・
ん?
勝ってもうれしくないし、負けても悔しくない(笑)
それは、メダルが使いたい放題だから(笑)
いや、これは不満ではなくて、むしろありがたいことなんですよ。
だって、娘は一生懸命に真剣に勝負をしていて、しっかりと楽しんでいるし(笑)
追加料金なしで、こんなに子供が遊べるのは、本当に親としてはありがたいんです。
でも、大人の私は無限にあるメダルを前にしてゲームをしていても、何も燃えるものがなく・・・
いや、いいんです。
娘を喜ばせに来たんだから(笑)
早々にメダルゲームを切り上げた私は、近くを通りかかった旦那さんに「メダル使いたい放題だから、あんまりおもしろくなかった」と(笑)
すると、旦那さん「お金も一緒なんだろうね(^^)」って。
いくらでも使えるお金があって、いくらでも自分の欲望を満たすことができたら、その先にあるものって・・・
こんな感じなのかな?
そういえば、長年ラーメン屋を営む私の父がこんなことを言っていました。
「お金持ちのお客さんほど、寂しいって言うんだよね。」
「なんか満たされないって。」
「お金目当てで近づいてくる人も多くて、心の繋がりが乏しいって。」
※あくまでも、お金持ちの数人の方たちの意見です。
お金ってなくてはならないものだけど、やはりお金をたくさん持つことが必ずしも「幸せ」に直結するものではないんだな・・・と、改めて考えさせられました。
お金を大量に得ることで失うものがある・・・
もちろん、得るものもたくさんあるのも事実ですが、お金ばかりに執着することによって、気づいたら大切な何かを失っていた・・・ということにもなりかねないわけです。↓
限りあるお金の使い道を考えながら生きていくことが、どれだけの幸せにつながっているのだろう・・・
「お金がもっとあったら、こんなこともできるのに。」
「お金がもっとあったら、こんなところにも行けるのに。」
って、もし急にいくらでも使うことができるお金が手に入ったら、心から楽しいのは一時なのかもしれない・・・
これは、お金持ちの方に対するひがみではありません。
むしろ、「一度くらいはお金持ちを体験してみたい!」とさえ思っています(笑)
今回、私が言いたいのは、自分たちが使えるお金に限りがあるからこそ、いろいろなことにありがたみを感じたり、いろいろなことに喜びを感じたり、いろいろなことに悔しさを感じたり・・・といった人生を豊かにしてくれる要素があるのではないかな?ということです。
だから、自分の身の丈にあった生活の中で、そういった幸せを感じていけばいいのかな?と。
「お金」が無限にあることによって得るものと、失うもの。
「お金」に限りがあることによって得るものと、失うもの。
「お金」がありすぎることによる不都合と、
「お金」がなさすぎることによる不都合。
全てはバランス・・・
何でも偏ることで、不都合が発生します。
これが先日の無限に遊べるメダルゲームで感じたことです。
とはいっても、とっても楽しかったファンタジーキッズリゾート♫🎶
次回は息子も連れて行ってきます(^_-)-☆
「楽なのに苦しい・・」ふと不思議な感覚に襲われた日曜の朝~発達凸凹の子を育てる私の一喜一憂~
この週末(土曜日)は娘の七五三のお参りに行ってきました。
私と娘は一足先に着付けに向かい、あとから旦那さんと息子、義父・義母が合流するという流れでした。(私の父と母は仕事です)
まずは娘の髪の毛を結わいてもらって・・・
その時点で涙ぐむ私・・・(笑)
娘が7歳のお祝いをするまでになったのか・・・
息子を未熟児で産んでから今までのことが走馬灯のようによみがえりました。
たくさんのことを乗り越えて、そして今もなお戦いながら、こうして月日が流れていくんだな・・・
慣れない着物で娘は疲れていましたが、そんなお疲れ顔もいい思い出(^^)
みんなで神社へ行ってお参りをして、着替えてからわが家へ移動。
お昼を食べて、ケーキを食べて(^^)
そんな団らん中に息子が「じいじとばあばの家に行きたい!」と。
義父もうれしそうに「おう!来いよ!」って(笑)
息子が一人でどこかへ泊まりに行くのは、習い事のキャンプと今回で2回目。
自分で身支度をさせて、私がチェックをして・・・
息子は普段なかなか集中して書くことのない作文の宿題も一気に書きあげる程のウキウキっぷりです(笑)
やはり、何か楽しみなことがあると、嫌なこと・大変なことも前向きに集中して取り組めるということが実証されました(笑)↓
こうして、夕方義父と義母とともに出発!
娘はまだ私がいないと不安なのと、息子自身が「僕一人で行きたい!」「誰も来るな!」ということで、息子一人のお泊りが決行されました。
滅多にない娘一人のわが家。
すると娘は「何しよう」「何したらいい?」とつまらなそう(笑)
いつも喧嘩をしてもわちゃわちゃしていても、やはり息子がいる方がいいみたいです(^^)
息子はウキウキで出発して行ったのに、娘がこんな感じはかわいそうだな~と、翌日のお出かけを提案!
娘と一緒に考えた結果、日本最大級の屋内遊園地へ行くことにしました(^^♪
ここから、娘のテンションも一気にアップ(笑)
これで息子も娘も楽しめる状況を作ってあげられました(^^)
今回、何が言いたかったのかと言うと・・・
休日の朝に息子がいない日を過ごしてみて、ほっと安心している自分がいたんです。
気持ちにも余裕があって、イライラすることもなく、落ち着いている自分が・・・
というのは、休日の午前中は朝一学習以外にも苦手分野などの学習も取り入れている私。↓
息子がいないということは、この午前中の第二弾の学習をしなくてもいいということなんです。
健常児で優等生の娘は朝一学習で十分。
息子相手のように、常に「何を教えよう?」「何が足りないかな?」と考えて実行する必要がないわけです。
何も考えずに、ただ日常の生活を送ることができた日曜日の朝・・・
正直に言って、本当に楽でした。
でも楽だけではなく、その感情のギャップに苦しさもありました。
もう何年も継続して行っている朝の学習習慣。
習慣となってしまえば、大変なことは大変で終わり、苦しさまでは発生しないのに、その習慣が崩れ、楽を感じてしまうことで苦しさが発生してしまったんです。
すごく不思議な感覚でした・・・
楽なのに苦しい・・・
結局は常に意識をしている息子の教育が自分の負担になっているということ。
どんなに綺麗ごとを言っても、これだけは変えられない現実です。
そんな中で、「どう自分を奮い立たせながらやっていくのか?」を考えながら生活しているんですね。
息子も大変で私も大変な学習・・・
でも、「二人とも大変なのであれば、いっそのことやめちゃおうか・・・」という考えには至らないわけです。
今の楽を取ることが、この先息子にどのような影響を与えるのかを考えたら、今を頑張らない選択肢はないんです。
だから、今を頑張るからこそ、息子にはそれ以上の喜びや楽しみを与えてあげたいと、今回のお泊りも実現したんですよね。
おじいちゃんとおばあちゃんの家に泊まりにいくことなんて、そんな大げさに考えることではないと思いますが、私にとったらできることはなるべく息子の希望を叶えてあげたいという気持ちがあるんです。
ただ、ここで難しいのは、人は「喜び」よりも「苦しみ」の方に意識がいってしまうということ。
こうして、息子の喜びを意識していても、息子からは「勉強ばっかり!」と言われることもしばしば・・・
そんな息子の気持ちをコントロールしていくことに力を注ぎ、ふと今回のように楽を知ってしまうとどっと変な疲れが出てくるわけです。
こうして、障害名が外れた今もなお、一筋縄にはいかない発達凸凹の子の教育に一喜一憂しています。
ただ、逃げるわけにはいかない。
目の前にある課題を一つ一つこなしていくのみです。
できる範囲で・・・
どんな結果になろうとも、息子と二人で「お互い頑張ったよね(^^)」って言えるように。
一人そんなことを悶々と感じながら過ごした日曜日の朝。
でも、しっかりと気持ちを切り替えなきゃ!
だって、初めて行く日本最大級の屋内遊園地が待っている( *´艸`)
というわけで、昨日は旦那さんと娘と3人で楽しんできました♪
息子もじいじとばあばとお出かけを楽しんだようで何より(^^)/
今日からまた4人家族!
普段のバタバタ・ドタドタ・ギャーギャーの毎日だけど、娘はとってもうれしそう(笑)
いつものこの騒がしさが急になくなって、寂しくなっちゃってたんだよね(^^)
やっぱり、大変でもいつもの生活が一番です!
自分の運命を受け入れて、しっかりと息子が健全な成長を遂げれるように努力します!
マシンガントークから湧き出た喜びと感謝の気持ち~「好き」に熱中することの重要性~
とある通級指導の日、息子をクラスまでお迎えにいき、いつもように自転車で通級教室まで向かっていると・・・
普段は私から話しかけることが多いのですが、その日に限っては息子がとにかくしゃべるしゃべる(^^)
息をつく暇もない状態で、興奮しながら早口で。
いわゆるマシンガントークです(笑)
「今日さ~休み時間に3年生と6年生混じってドッチボールをしたんだけど、僕が投げたボールをその6年生はとれなかったの!」
「僕は6年生のボール全部とれたんだよ!」
「みんな僕のこと世界一うまいって( *´艸`)」
「だってさ、僕すごい投げるの早いし」
「1年生の時はあんまり早く投げれなかったけど、2年生になったくらいからだんだん早くなってきて、今ではめっちゃすごいよ!」
「ボール怖くないの?」
「全然、怖くないよ~」
「4年生になったら、ドッチボールクラブにするんだ!」
「ドッチボールクラブに入ってほしいって言われたんだよ~」
と、ざっくりとこういった内容。
これを学校を出発してから通級教室に着くまでの約15分間、ほぼずっと息子一人でしゃべりっぱなし(笑)
よほどうれしかったようです(^^)
早口で話すものだから、吃音障害を抱えている息子はどもるどもる(^-^;
そして、まだまだ説明の苦手な息子は5W1Hをうまく使いこなすことができないので、随所「誰が?」「何を?」と質問をしないとすぐにぱっと内容が分かりませんでした(笑)
でも、言葉をしゃべっている姿を想像すらできなかった幼児期の頃を思い出すと、マシンガントークまでできるようになったのかと、息子の話を聞きながら思いにふけっていました。
たくさんしゃべれるようになって良かったね・・・
自分の気持ちを相手に伝えられるようになって良かったね・・・
この毎週ある通級の時間、クラスで一人授業を早退して「今日はみんなは5時間授業なのに、僕だけ6時間授業だね」って言うこともあったっけ?
本当はみんなと同じ5時間で一緒に帰りたいよね?
「うん、そうだね~」「でも自分だけじゃなくて、他のクラスの子とか他の学校の子とか通級に来ている子もたくさんいるよ!」って、私はさらっと流すことしかできなくて。
そんな会話も今ではでなくなって、この日は通級の日っていうことがしっかりと本人の中で定着し、何も文句を言うこともなく、何も疑問に感じることもなく、すんなりと通級に通ってくれている息子を見ていると、何か心にぐっとくるものがあります。
通級だって療育と同じように目に見えた変化がすぐに現れるものではありません。
未だにふと「友達と遊ぶ時間を削ってまで行く意味はあるのかな?」と思うことすらある程、とてもとても地道な世界です。
でも、療育や通級で学んだことを実生活に落としていくことによって、その効果は何倍にも膨れ上がるとも思っています。↓
それが気休めでもいい・・・
何も行動しなければ、あの時こうやっていたらどうなったのかな?と後悔してしまうと思います。
だから、どれだけ効果があるのかも分からない通級でも一生懸命に通っているんです。
「やれることはやった」と心の迷いを失くすために・・・
ただ、これは私の自己満足です。
この通級の時間を頑張ってくれている息子に対しては、他の時間で自分の時間を満足できるように私が意識していかなければいけないと思っています。
そんな中で、息子が自分で見つけた楽しい時間。
その一つがドッチボール。
私は先日の息子のマシンガントークから、しっかりとその息子の時間を確保し応援し一緒に喜びを分かち合ってあげたいなと思いました。
「すごいね!」
「4年生になったら頑張ってね!」
自分で好きなことを見つけて、自分で進む道を決めた第一歩。
それが学校のクラブ活動です。
私が一切介入することなく、全て自分で決めた大切なドッチボール。
普段から休み時間によくドッチボールやっていたもんね(^^)
『何も好きなことがなくて、何もやりたいことがない・・・』
のではなくて、
『これが好きで、これがやりたい!』
と思えた、その気持ちを絶対に大切にしていこう(^^)/
だから、お母さんは一生懸命に話を聞いて、一生懸命に他との時間を調整して、あなたが好きなことをやれる時間をしっかりと確保できるように頑張るから。
そうすれば、通級も勉強もまた頑張れるもんね!
大変なことを頑張るだけに偏らないように、ドッチボールに限らず大好きなことをどんどん見つけてそこに熱中できる時間も増やしていこう!
(虫もすごい大好きだよね~)
マシンガントークができるようになったことに感謝!
また一つ、得意なことが増えたことに感謝!
自分で好きなことを見つけて、自分の道を決めることができたことに感謝!
そして何よりも・・・
休み時間にみんなの輪に入って、楽しく学校生活を送れていることに感謝・・・
息子一人の力ではどうにもならない世界・・・
発達に問題があったって、それを受け入れ仲間に入れてくれる周りの子供たちに感謝・・・
本当にありがとうm(__)m
最も危ない思想は「悪」ではなく「正義」~自分の正解を相手に求める問題点~
以前、あるおばあさまのツイートが流れてきて、心を打たれました。
その内容とは・・・
『世の中で最も危ない思想は悪ではなく正義ね。悪には罪悪感が付いてまわるけれど、正義にはそれがない。歯止めが利かない。皆、正義さえあれば徹底的に痛めつけてもいいと思っているから相手が再起不能になるまで追い詰める。はき違えた正義はとても危険。』
というもの。
❝正義はスーパーヒーローで悪を倒す!❞といったごく普通のイメージから一転・・・
「悪」よりも厄介なのが「正義」というこの内容・・・
例えば、問題を起こした人を徹底的に潰しにかかる風潮や、多数派が正解で少数派は不正解という雰囲気、自分が良かれと思っていることを相手に押し付けたり、更にはそういった思想で周りを洗脳しようとしたりする・・・
様々な場面でこの「正義」の危険性が当てはまるのだな・・・と感じました。
ケースバイケースであることは間違いありませんが、私はこのツイートを見て我が身を振り返ってみました。
子供のためと思ってやっていることが、子供を苦しめることにつながっていないか?
「悪くするためじゃなくて、良くするためなんだよ」って、本当にそうなのかな?
本来大切なことって何だろう?
この「悪」と「正義」が常に隣り合わせになる子育て・・・
裏を返せば「悪」となり、表に戻せば「正義」となる。
これが一番分かりやすいのが現代において問題となっている『教育虐待』なのでしょう。
「あなたのためなのよ」って正義を振りかざして、子供を追いつめていないか?
上記のおばあさまのツイートからそんなメッセージを受け取ることもできます。
もちろん、こどもの心が潰れてしまう程の過度な教育は虐待・・・
でも、世の中を生きていくために必要な忍耐力をつけるために頑張ることも大切・・・
私にとって、これは子育てにおいて永遠のテーマです。
これに関しての私の詳細の気持ちは下記の記事に書かれています。↓
上記の記事のように、一番大切なのは子供の気持ち。
ただし、現実問題、子供の気持ちだけでは生活が成り立っていかない。
子供の気持ちばかりを優先したら、かえって子供を苦しめることにもなりかねない。
これが「正義」の気持ちなのかな・・・
その「正義」が正しいのか正しくないのかは誰にも分からないこと。
もう相手が大人だったら「私とは考え方が違います」でお互い済ませることもできるのかもしれません。
ただし、相手が子供の場合はどうしても親の支配下に置かれてしまいます。
親の思想で子供が左右されてしまうんですよね。
この子育てにおける「悪」と「正義」の折り合いをどうつけていくのか?
やはり、それは親が『自分自身を過信しすぎないこと』であると思います。
自分の考えが必ずしも正解ではない。
子供の表情をしっかりと見ていれば、子供の気持ちって伝わってくるものです。
その表情で「無理をさせすぎているのか?」「まだ余裕があるのか?」「このやり方はこの子にあっているのかな?」などということが分かってくると思います。
表情だけでなく、ちょっとした言動や雰囲気に変化が起こるはず・・・
その変化を親は敏感に感じ取って、柔軟に方法を変えていくべきであると思っています。
自分の考えに固執しないという点においては、様々な人と話すことも重要です。
そこには「うちはこうしているよ」とか「私だったらこう思うよ」とかっていう、自分とは違う考えが溢れているからです。
今はそんなたくさんの思考をネット社会でも得ることができます。
多くの媒体を使って、常にいろいろな情報に耳を傾ける。
そこには、いろいろな考え方があって、いろいろな生き方があります。
自分が理想としている世界だけでなく、違った世界を見てみることによって、また違った発見もあるはずです。
思考転換をすることは容易ではないかもしれないけれど、もし子供に明らかなマイナスの変化が現れたのであれば思考転換をする勇気を持つことも大切です。
親の務めは子供の能力を引き出して、その子供に見合った土台を作ってあげること。
改めて、親の人生ではないことを肝に命じなければいけないなと感じました。
もちろん、辛く苦しい経験も大切だけれども、やっぱり基本は笑顔で毎日を過ごせるようにしてあげたい。
『能力に見合った試練は必要だけれど、あまりにも能力とかけ離れている試練は不必要である』ということを思いました。
頑張ることは大切だけど、頑張りすぎることは違うんだな・・・と。
これは学力だけでなく、体力や精神力など全ての子供の能力において言えることです。
これらの能力はみんなそれぞれ違うということ。
今の能力に見合った努力で、その能力を少しずつ引き伸ばしていく。
なんでも欲張り過ぎずにスモールステップを意識していけば、健全なその子なりの世界を作っていけるのではないかな?と感じました。
今までも子供たちの笑顔を大切にはしてきましたが、これからはより一層その気持ちを強くし、自分本位ではなく子供本位に立ってバランス良く能力を引き出してあげれるように意識していきたいです。
そのために、今私が具体的にできることは『頑張るボリュームの調整』だと思います。
「こう決めたのだから絶対にやり抜く!」のではなく、子供たちのサインを一生懸命に感じ取って、その都度柔軟に負荷を調整していけるようにしていきたいです。
自分が掲げる理想ばかりを追い求めず、いろいろな思考や生き方があるという現実をしっかりと頭に入れていきたいと思っています。
自分の「正解」は、相手の「正解」とは限らない・・・
親子であるがゆえ影響力が高いからこそ、真剣に接し方を考えていかなければいけない問題だと思いました。