子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

最も危ない思想は「悪」ではなく「正義」~自分の正解を相手に求める問題点~

以前、あるおばあさまのツイートが流れてきて、心を打たれました。

 

その内容とは・・・

 

『世の中で最も危ない思想は悪ではなく正義ね。悪には罪悪感が付いてまわるけれど、正義にはそれがない。歯止めが利かない。皆、正義さえあれば徹底的に痛めつけてもいいと思っているから相手が再起不能になるまで追い詰める。はき違えた正義はとても危険。』

 

というもの。

 

 

 

❝正義はスーパーヒーローで悪を倒す!❞といったごく普通のイメージから一転・・・

 

「悪」よりも厄介なのが「正義」というこの内容・・・

 

例えば、問題を起こした人を徹底的に潰しにかかる風潮や、多数派が正解で少数派は不正解という雰囲気、自分が良かれと思っていることを相手に押し付けたり、更にはそういった思想で周りを洗脳しようとしたりする・・・

 

様々な場面でこの「正義」の危険性が当てはまるのだな・・・と感じました。

 

ケースバイケースであることは間違いありませんが、私はこのツイートを見て我が身を振り返ってみました。

 

子供のためと思ってやっていることが、子供を苦しめることにつながっていないか?

 

「悪くするためじゃなくて、良くするためなんだよ」って、本当にそうなのかな?

 

本来大切なことって何だろう?

 

 

 

この「悪」と「正義」が常に隣り合わせになる子育て・・・

 

裏を返せば「悪」となり、表に戻せば「正義」となる。

 

これが一番分かりやすいのが現代において問題となっている『教育虐待』なのでしょう。

 

「あなたのためなのよ」って正義を振りかざして、子供を追いつめていないか?

 

上記のおばあさまのツイートからそんなメッセージを受け取ることもできます。

 

もちろん、こどもの心が潰れてしまう程の過度な教育は虐待・・・

 

でも、世の中を生きていくために必要な忍耐力をつけるために頑張ることも大切・・・

 

私にとって、これは子育てにおいて永遠のテーマです。

 

これに関しての私の詳細の気持ちは下記の記事に書かれています。↓

www.jiritsusupport.com

 

上記の記事のように、一番大切なのは子供の気持ち。

 

ただし、現実問題、子供の気持ちだけでは生活が成り立っていかない。

 

子供の気持ちばかりを優先したら、かえって子供を苦しめることにもなりかねない。

 

これが「正義」の気持ちなのかな・・・

 

その「正義」が正しいのか正しくないのかは誰にも分からないこと。

 

もう相手が大人だったら「私とは考え方が違います」でお互い済ませることもできるのかもしれません。

 

ただし、相手が子供の場合はどうしても親の支配下に置かれてしまいます。

 

親の思想で子供が左右されてしまうんですよね。

 

この子育てにおける「悪」と「正義」の折り合いをどうつけていくのか?

 

やはり、それは親が『自分自身を過信しすぎないこと』であると思います。

 

自分の考えが必ずしも正解ではない。

 

子供の表情をしっかりと見ていれば、子供の気持ちって伝わってくるものです。

 

その表情で「無理をさせすぎているのか?」「まだ余裕があるのか?」「このやり方はこの子にあっているのかな?」などということが分かってくると思います。

 

表情だけでなく、ちょっとした言動や雰囲気に変化が起こるはず・・・

 

その変化を親は敏感に感じ取って、柔軟に方法を変えていくべきであると思っています。

 

 

 

自分の考えに固執しないという点においては、様々な人と話すことも重要です。

 

そこには「うちはこうしているよ」とか「私だったらこう思うよ」とかっていう、自分とは違う考えが溢れているからです。

 

今はそんなたくさんの思考をネット社会でも得ることができます。

 

多くの媒体を使って、常にいろいろな情報に耳を傾ける。

 

そこには、いろいろな考え方があって、いろいろな生き方があります。

 

自分が理想としている世界だけでなく、違った世界を見てみることによって、また違った発見もあるはずです。

 

思考転換をすることは容易ではないかもしれないけれど、もし子供に明らかなマイナスの変化が現れたのであれば思考転換をする勇気を持つことも大切です。

 

 

 

親の務めは子供の能力を引き出して、その子供に見合った土台を作ってあげること。

 

改めて、親の人生ではないことを肝に命じなければいけないなと感じました。

 

もちろん、辛く苦しい経験も大切だけれども、やっぱり基本は笑顔で毎日を過ごせるようにしてあげたい。

 

『能力に見合った試練は必要だけれど、あまりにも能力とかけ離れている試練は不必要である』ということを思いました。

 

頑張ることは大切だけど、頑張りすぎることは違うんだな・・・と。

 

これは学力だけでなく、体力や精神力など全ての子供の能力において言えることです。

 

これらの能力はみんなそれぞれ違うということ。

 

今の能力に見合った努力で、その能力を少しずつ引き伸ばしていく。

 

なんでも欲張り過ぎずにスモールステップを意識していけば、健全なその子なりの世界を作っていけるのではないかな?と感じました。

 

 

 

今までも子供たちの笑顔を大切にはしてきましたが、これからはより一層その気持ちを強くし、自分本位ではなく子供本位に立ってバランス良く能力を引き出してあげれるように意識していきたいです。

 

そのために、今私が具体的にできることは『頑張るボリュームの調整』だと思います。

 

「こう決めたのだから絶対にやり抜く!」のではなく、子供たちのサインを一生懸命に感じ取って、その都度柔軟に負荷を調整していけるようにしていきたいです。

 

自分が掲げる理想ばかりを追い求めず、いろいろな思考や生き方があるという現実をしっかりと頭に入れていきたいと思っています。

 

自分の「正解」は、相手の「正解」とは限らない・・・

 

親子であるがゆえ影響力が高いからこそ、真剣に接し方を考えていかなければいけない問題だと思いました。