子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

通級の継続について~子供の成長に伴う、サポート終了について考える~

未熟児で産まれ、軽度知的障害と言語発達遅滞を患い、5歳までまともにしゃべることができなかった現在小学校3年生の息子は、2歳から療育センターに通い始めました。

 

手先も不器用な息子のために、作業療法も行い、構音不明瞭だった息子のために発音訓練も行い、その他、日々の必死な家庭療育を経て、約3年前に小学校入学を迎えました。

 

その際、普通級か支援級かで大いに悩み、相談機関はいくつかあったものの、最終的な決定権は私にありました。↓

www.jiritsusupport.com

 

あれから、3年・・・

 

ついに、あの時選択した通級指導に『卒業』の雰囲気が漂い始めました。

 

「新しく獲得した言語をすぐに取り入れて話ができるようになったので、細かい文章構成や時系列の課題は日常生活で感覚をつかんでいく方向になると思います。」

 

「あと、通級で指導できることと言えば、吃音に対してのフォローになります。」

 

というわけで・・・

 

来年度、通級に通う頻度は、隔週か月1か?引き続き、毎週か?

そもそも、続けるか、辞めるか?

 

という今後の流れを、私が決定できるということでした。

 

3年前の小学校入学時と同様に、全ての権限が私にある。

 

責任という重圧がのしかかりながら、私は今後の通級について考えていきました。

 

 

 

2歳から始めた療育が通級指導という形に変わって、息子をサポートし続けたこの約7年間。

 

この特別なサポートを終了させるかどうかという大きな決断。

 

まだ、はっきりと終わりを告げられたわけでもないのに、終わることも視野に入ってきた私は、今までのことが走馬灯のように蘇り、息子の成長や期待とともに、何とも言えない不安を感じました。

 

これまでの成長を考えると、もう特別な支援には頼らずに頑張っていけるのではないか?という意気込みと、成長したとはいっても、まだまだ課題も多く、吃音障害もしっかりと残っている息子に対し、今まで関わってきた特別な支援を急に切ることへの不安が交錯していました。

 

しぶとく残ってしまった吃音は簡単に治せるものではなく、お付き合いという感じになるでしょう。

 

それであれば、吃音に対して時間を使うよりも、その時間をもっと他のこと(国語算数以外の他の教科や遊び時間など)に費やした方がメリットがあるのではないか?

 

でも、息子の吃音に対しては、専門知識がまだ必要なのかな?

 

と、頭の中がなかなかまとまりません。

 

 

 

後日の面談で、担当の先生は通級教室を続けるメリットを下記のように説明してくださいました。

 

①日常生活や学校では、ゆっくり話すことを意識することが難しいけれど、通級では改めて話しやすい話し方を意識したり、練習することができる。

 

②学校の新しい担任との架け橋ができる。(支援方法や配慮の問題など)

 

③都度、相談しながら調整しながら指導を行うことができる。

 

 

と、一生懸命に私たち親子のためにお話しをしてくださる先生を前にして、私が感じたことは・・・

 

『何か不安や問題を抱えている時は、一人にならない方がいい。』

 

ということ。

 

吃音や発達凸凹の悩みを抱えている以上、都度、様々な意見や方法を取り入れられる環境があった方が、私自身も息子自身もどこかに偏って思い詰めてしまう可能性が低くなるでしょう。

 

私一人の考えでは、どうしても息子を頑張らせ過ぎてしまう方向に陥り、うまくいかなかった時に八方塞がりになってしまうでしょう。

 

私には私の強い思いを制御してくれる人が必要であり、私に新しい考え方や方法を教えてくれる人が必要であり、ある意味、私を第三者として落ち着いてコントロールしてくれる人が必要です。

 

そういった役割をしてくださるのが、息子の教育において❝先生❞という存在なのです。

 

また、その息子の教育に関わる❝先生❞や❝環境❞は、できるだけ多い方がいいと思っています。

 

なぜなら、それだけ多くの情報を集められ、多くの方の協力を得ることができるから。

 

 

 

通級の先生と話しを進めながら、そう固まった私の心。

 

「続けさせてください」

 

通級指導教室までは自転車で約20分程度。

 

雨の日なんかは、送迎が億劫になることもあって・・・

 

でも、この大切な息子を、私だけでなく、たくさんの協力者たちとともに育てていこう・・・

 

そういえば、私の言うことは聞かないけれど、先生の言うことだったらよく聞いたり、面倒なことも「宿題」と出されてしまえば、すんなりと取り組むことができるメリットもあったっけ(笑)

 

 

 

何も分からない未来を想像して、こうして一つ一つの道を選択していくことに対し、何が正解で不正解なんてものはないけれど、都度、一生懸命に考えて、自分が感じたプラスを信じて歩んで行こう。

 

今回の通級の継続に関しての迷いは、息子の成長があったからこそ。

 

感謝です。