今日は航空ショー!〜旦那さんの実家にきています(^^)〜
ブログなかなか更新できていませんが、元気にしています(^^)
自宅の掃除に専念したり、自分の時間を作ったり♪
そして、この3連休は旦那さんの実家にきています!
先月の3連休もお世話になったんだっけ(笑)
そして、来週は娘の七五三でこちらに来てもらいます。
あとは、年末年始を一緒に過ごします。
昨日は動物園に行って、今日は航空ショーへ行くんです♫
いつも、いろいろな場所に連れて行ってくれるご両親に感謝です☆
旦那さんのご両親はとてもいい人で私は幸せものです。
ただ、ご両親とお付き合いが始まって10年以上が経ちますが、初めからうまくいっていた訳ではありません。
価値観の違いからボタンをかけ違うこともありましたが、お互いの歩み寄りでここまでの関係を築くことができたんです。
「新しい家族」をどうやってまとめていくのか?ってとても重要ですよね。
私は家族は絶対に大切にしたいので、気持ちをバラバラのままにしておくことはどうしてもできませんでした。
必ず解り合えると自ら真剣に働きかけたら、一気に流れが変わりました。
どうやって関係を改善したのかは、またゆっくりと書かせていただきますね(^^)
今日は子どもたちは5時に起きて、早速公文の宿題と朝勉に取り組んでいます。
昨日、動物園で歩き回って疲れていたはずなのに、起きるの早い(^_^;)
私はもうちょっと寝ていたかったのですが、一緒に目が覚めたのでブログを書きました(笑)
今日の航空ショーは大混雑のようなので、迷子が心配。
紐で結んでおこうか(笑)
ただ、二人はもう小学生。
もちろん、すごい人混みは手を繋ぎますが、何が起こるかは分からないので、数年前から二人には私の電話番号を暗記させています。
「万が一迷子になったら、近くの大人にその旨を伝えてお母さんに電話をしなさい」と教えています。
この迷子エピソードもいろいろあるんです(-_-;)
今回はいつにない人混みのようなので、そうならないように最新の注意を払います!
大迫力の航空ショー楽しんできますね♫
「食事のマナー」よりも大切なこと~理想にこだわらずに、今何が大切かを見極めよう~
先月9歳を迎えた息子は、いつの間にか身長130㎝を超えていました。
平均をキープして、順調に伸びています。
そういえば、9年前に43㎝の未熟児で産まれて、「ちゃんと大きく育つように」と新生児の頃はグラム単位で体重を計って一喜一憂していたっけ・・・↓
幸い小さく産まれた息子はどんどん体重も増えて身長も伸びて、順調に体が大きくなっていきました。
子供の成長って当たり前に喜ばしいものですよね?
私もある時期を除いては、体重が増えて身長も伸びてどんどん大きくなる息子に喜びを感じています。
ある時期を除いては・・・
一番初めのブログにも書かせていただいたのですが、その体の成長が喜ばしくなかった時期があったんですよね。
それは、ちょうど3歳~5歳の時期。
もう周りの子供たちは普通の会話ができて、いろんなことを理解していて、お絵かきも工作も何でも一人でできるようになっているのに、息子はそれらができませんでした。
特に一番心配だった言葉・・・
体はどんどん大きくなるのに、まともに何もしゃべれない。
当時は不安と心配しかなくて、順調な体の成長を喜ぶことができなかったんです。
誕生日がきたって、「また体と年齢だけ大きくなっちゃった・・・」って。
子供の誕生日がうれしくないって、言葉では表現できない程の苦しさがあります。
誕生日が来るたびに、中身は赤ちゃんのままで、体だけが大きくなっていく葛藤。我が子の誕生日を心から祝うことができない、形だけの誕生日会。
まだ、2歳と言っておきたいのに・・・まだ、3歳と言っておきたいのに・・・
顔は笑っていても、心は笑っていませんでした。
※「はじめまして(^^♪〜ハンディキャップを抱えた子を育てる私の心構え〜 」より引用
未熟児で産まれたからこそ「大きくなってほしい」と願っていたのに、現実は「大きくなってほしくない」という気持ちの方が勝ってきて・・・
それでも、生きていくためにも元気でいるためにも必要な栄養を第一に考え、毎食しっかりとバランスのいい食事を意識してやってきました。
そして、その栄養が発達の土台となることを信じて、一生懸命に食べさせてきました。
また、息子は体質的に痩せています。
さらに、幼児期の頃は喘息に悩まされ、風邪もしょっちゅうひいていて、決して体が強いとは言えない子供でした。
だからこそ、「栄養が足りないからそうなるんだ」という原因には絶対に結びつけたくありませんでした。
しっかりバランスのいい食事を摂って、しっかりと睡眠をとる。↓
これは、今まで私がぶれずに行っていることです。
発達のためにも、健康のためにも、体重のためにも・・・・
絶対に欠かすことのできなかった栄養・・・
きちんと食べさせるということに対して、すごい思い入れがあった私。
だから、そんな私にとっての『食事のマナー』は二の次三の次でした。
知的障害の影響もあったのか、とにかく落ち着きがなく座って食事をすることのなかった息子。
それを毎食追いかけながら口に食べ物を運ぶ私。
「躾がなっていない」と言ってしまえばおしまいですが、そんな簡単な言葉では解決のできない状態でした。
そんな躾は何度もチャレンジしている。
それでもだめだから、遊ばせながらでも追いかけながらでも食べさせる。
何よりも栄養が大切だから・・・
「お腹が空いたら座って食べるよ」って何度周りに言われたことか・・・
「あげちゃうから、遊んでいてももらえるって思ってるんだよ」って。
ただ、当時の息子はそんなことをしたって、食べても少しで満足して食事終了という感じでした。
それを続けたら、もともと痩せている体がどんどんやせ細っていって、どんどん体も弱くなって、知能にも悪影響なのでは?という思いが強かった私は「食事のマナーは後からでもつけることができる」「今の栄養は今しか摂ることができない」と息子を追いかけながら食べさせ続けました。
もし、大きくなっても座って食べることができないのならば、それは障害・・・
そういった障害がなければ、じきに座って食べるようになるはず・・・
だから、私は座ってくれなくても、遊んでいても、食事はしっかりと食べさせる・・・
そんな生活を何年も続けて、ようやく息子が座って食べるようになってきたのが幼稚園年長の頃。
「ほら、やっぱり座って食べるようになった」
その約5年間をしっかり食べさせるか食べさせないかで、きっと今の身長も変わってきたのではないかな?と思っています。
そして、何よりも今までの栄養が様々な発達を大きくサポートしてくれたのではないかな?とも思っています。
あの時期、私が追いかけてでもしっかりと食べさせてきたことが、今につながっているように感じます。
だって、食事は全ての基本であり土台となりますから。
もちろん、神経質になる必要はないけれど、普通のバランスのいい食事は必要だと思っています。
幼稚園年長までの息子はそんな最低限の栄養を自ら摂取することが日常的にできませんでした。
だから、私がその義務を果たしただけです。
「食事のマナー」と厳しい声を耳にすることもあったけれど、そのマナーを簡単に身に付けることができないことだってあるんです。
「時間がきたら切り上げなよ」って、本人のペースを無視していたら、十分な量を食べられないんです。
食事をただ一生懸命に与えていることが、なぜ否定される対象になってしまったのかは今でも理解ができません。
無理に口に押し込めているわけでも、吐くほど食べさせているわけでもないんです。
ただ、座って食べていないだけ・・・
理想と現実は違うことをしっかりと認識しなければいけません。
そんな中で、いろいろな方法があってもいいはずです。
だから、私はその数年間、「食事のマナー」よりも「栄養の摂取」を優先させてきて良かったと思っています。
子供の「食事のマナー」よりも大切なことは、健康的に育つこと。
そんな大切なことを理解し協力してくれた母や姉には感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は、いつの間にか130㎝を超えていた息子に対して、そんな大変だった過去の食事風景をふと思い出しました。
今では体も強くなって、足のサイズももうすぐ追いつかれそうで(^^)
そんな息子を見ていると、私は「食事のマナー」に固執しなかった過去に悔いはありません。
(※ホルモンに問題がある場合やもともとの遺伝的要素などによって、食事=成長になるとは限りません。)
⑭離乳食に戻った2歳6カ月の息子~「試練」は乗り越えると大きな力となる~
前回のあらすじはこちら↓
まともに食事をしなくなってから約1週間・・・
病院に寝泊まりする母も、乳児の娘を連れてあれやこれやとバタバタする私も疲れはかなりたまっていましたが、病院にさえいれば息子の命が失われることはないという安心感がありました。
「いつまで食べないのだろうといった不安」と「ここにいれば大丈夫といった安心」の相反する気持ちを抱えながら過ごしていた入院生活・・・
息子は泣いたり、わめいたり、暴れたり・・・
でも、ニコニコ笑ったり、一生懸命に絵本にシールを貼って楽しんでいたり、大好きなDVDを見て興奮していたり・・・と穏やかな時間もありました。
息子も「不安」と「安心」が共存している・・・
一緒だ・・・
とにかく、食べ物を口にするまでここにいられる・・・
一番守りたい命を守ってあげることができる・・・
だから、大丈夫・・・
私と母で息子が食べるまで頑張る。
そんな気持ちでいたある日・・・
ずっと病院食以外にも息子が大好きなバナナやクッキーなども持ち込んでいたのですが、そのクッキーを食べたんです!
「食べた!!!!」
その時は、数口のみでしたが、ちゃんと飲み込んでくれたんです!
約1週間ぶりに水分以外のものを口から飲み込んだ・・・
まだ、この日は他のものは口から吐き出してしまっていましたが、翌日、翌々日と食べられる量や種類がほんの少しずつ増えていきました。
食べるようになったといっても、基本的には固形物はNG。
柔らかい病院食を更に潰したどろどろの離乳食でした。
それでも、これなら栄養を摂ることができる!と、どろどろの離乳食を口にする2歳6カ月の息子を微笑ましく眺めていました。
それから、数日・・・
食べられるようになった量もしっかりと増え、退院が決まりました。
「本当にありがとうございましたm(__)m」
と、頭を下げて病院を出た私と息子。
ただ、喜びもつかの間・・・
これからは点滴なしで、全ての栄養を口から摂取することになります。
食べられるようになったと言っても、固形物はまだだめ。
どろどろの離乳食すら、積極的に食べるわけではなく、本人のご機嫌を伺って少しずつ口に入れていく感じです。
満足いく量を食べさせるのに、毎回2時間くらいかかるんです・・・
家に帰って、息子の食事はまずみじん切り・・・
こすまではしなかったのですが、形がなくなるくらいまでどんどん包丁でたたいていきます。
息子が大好きなトマトは皮をむいて、種をとって、これもぐちゃぐちゃになるまで刻みます。
ミキサー買えば良かったです(-_-;)
まさに、離乳食が再び・・・といった感じ。
手間暇かけて作ったその離乳食すら、すんなりとは食べてくれないので、遊びながら意識をそらしながらの食事です。
こうして、食べ始めから食べ終わるまでに約2時間・・・
準備も含め、毎回の食事がどれだけ大変だったことか・・・
少しずつ、少しずつ、刻み方を荒くしていって・・・
少しずつ、固ゆでにして・・・
本人が気づかないレベルで本当に少しずつ普通の食事に戻そうとしていました。
それでも、少しでも固形物を感じればすぐに食べ物を吐き出す息子。
その度に私は泣いていました。
当時、実家に帰っていた私。
息子に食事を食べさせるのは、お姉ちゃんの方がうまかったです。
過去記事にも書きましたが、お姉ちゃんはユーモアあふれる楽しい人(^^)↓
息子を楽しませるのはお手の物♫
当時の息子は笑って何かに夢中になっている時は、よくその離乳食を飲み込んでくれていました。
食事がストレスにならないように・・・
普段から楽しい雰囲気を作るように・・・
私一人では絶対にできなかったその環境・・・
お姉ちゃんがいたからこそ、息子はしっかりと食事を摂ることができていました。
そんな生活が1カ月程度続き、ようやく安定して食事を摂れるようになった息子。
まだ、完全に大人と同じものまでは食べれませんでしたが、小さく柔らかいものであればきちんと食べられるようになっていました。
そして、私は息子と娘を連れて自宅へ・・・
ただ、誰の助けもなく今度は一人で食べさせなければいけないプレッシャーに襲われました。
息子用に食事を作り、いざ食べさせる時間・・・
ドキドキと緊張していたのを今でも覚えています。
お姉ちゃんのあの夢中で楽しませる技がない・・・
私はそれでも必死に明るく振る舞い、息子に食事を与えていました。
それでも、再び吐き出すこともあった息子・・・
胸が締め付けられるような思いをしながらも、息子と遊びながら食事を口へ運ぶ私。
そんな潰れそうな思いをしながらも、毎回毎回必死で食事を与えていました。
そうして、吐き出す回数も減っていき、どんどん大きなものも固いものも食べれるようになっていって・・・
完全に元に戻るまでは2カ月程かかりました。
そして、この食事の事件をきっかけに急に公園のハトに怯えるように・・・(今は大丈夫です)
今まで元気に追いかけていたのに・・・
食事も摂れなくなって、性格まで変わってしまって・・・
あの時の喉の違和感に恐怖を感じ、急に病院へ連れて行かれて、苦しい喉の検査をして、入院をして、点滴につながれて・・・
何が嫌なのか、何が怖いのかを説明することすらできなかった息子は、当時何を思っていたのでしょうか・・・
言葉にできないストレス、自分の思いが相手に伝わらないストレス、母親である私の気持ちが不安定なことに対するストレス・・・
たくさんのストレスがあったことは間違いありません。
それでもいつも私を求めて、私に甘えてきた息子。
イライラしながらも、泣きながらも、一生懸命に食事を与え続けた私の愛情は伝わっていたかな?
土台は大きな愛情で固められていたにも関わらずに、あまりにもいろいろなことが起こる現状に耐えきれなくなって、当時はそのイライラを息子にぶつけてしまったりと辛い思いもたくさんさせてしまったと思います。
まさに、親子で必死に成長しているという感じ・・・
ねえ、息子くん。
当時より、今の私はだいぶ強くなったかな?
この食事の件だけでなく、たくさんの「試練」を乗り越えてきたからこそ、その経験が大きな自信となって今の私を作ってきたような気がします。
でも、まだまだこれからもいろんなことが起こるよね?
また、一緒に乗り越えていってくれるかな?
私が息子を支えるつもりが、息子の強さに支えてもらっていることがたくさんあります。
まだまだ未熟なお母さんをいつも「大好き!」と言ってくれてありがとう。
お母さんも、あなたの強さに負けないようにこれからも頑張ります(^^)/
⑬何も食べなくなった2歳の息子~「食べられる幸せ」を噛みしめよう~
前回のあらすじはこちら↓
言葉が出ないまま迎えた2歳6カ月。
食事に関しては多少の好き嫌いはあったものの、バランスよく様々な食材を口にしていました。
離乳食もとっくに終えて、薄味の大人と同じものを一緒に食べていました。
とにかく椅子に座ってくれなかった息子との食事は、毎回追いかけまわしながらの戦い。
一口食べては椅子を降りて遊び始める・・・
何度も何度も椅子に戻してもすぐに脱走・・・
優しくしても、説明しても、怒っても、手を上げてしまっても・・・
何にも効果はありませんでした。
言葉を話すことのできない息子、椅子に座ることのできない息子にイライラがどんどんたまっていって・・・
「ちゃんとしなさい!」「座りなさい!」といつも声を荒げるようになっていました。
それでも、息子が言うことを聞くのは一瞬だけ。
「まだ2歳なのだから仕方ないのでは?」では済ますことのできないレベルで落ち着きがありませんでした。
今思えば、まだ理解が追いついていなかったのかな?とも思いますが、当時の私は全く余裕なんてなく、少しでも周りの子供たちと同じように育てたいという気持ちが大きかったのです。↓
こうして、言葉の焦りと息子の過剰な落ち着きのなさが、私を苦しめました。
そんなある日・・・
いつものように戦いながら食事をしていたところ・・・
「ぎゃあ~!!!!」
と、突然泣く息子。
何やら一生懸命に喉を指さして訴えています。
何か詰まったのか?!
取り急ぎ、呼吸ができているかの確認。
その後、水を飲ませて・・・
様子を見ているうちに息子も落ち着きを取り戻し、泣き止んでまた遊び始めました。
「良かった・・・」
そして、次の食事を口に入れようとしたところ、口を開けない・・・
「え?」
「ほら、ご飯だよ」
何度かチャレンジしてようやくご飯を口にいれた息子はすぐにベーっと吐き出しました。
食材を変えても、すぐに口から吐き出す息子。
飲み込むのは水分のみ。
どうやら先程の喉の違和感が恐怖になっているようでした。
「大丈夫だよ」
「ほら、よく噛んで食べてごらん」
と言っても、その言葉をどこまで理解しているのかさえ分からない息子・・・
どうしよう、何も食べない・・・
でも、今日だけだろう・・・
きっと、明日はまたパクパク食べるはず・・・
でも、そんな期待はすぐに打ちのめされ、翌日も翌々日も食事を口に入れると泣きながら吐き出してしまう息子・・・
なんとか、プリンやヨーグルトや豆腐など滑らかなものであれば飲み込んでくれるようになりましたが、それも毎回ではなく遊びに夢中で笑った瞬間に口に入れたもののみ。
本人が口にあるものに気づけば、またすぐに吐き出してしまう・・・
「どうしよう・・・」
「このままじゃ、栄養が摂れない・・・」
「もしかしたら、まだ喉に違和感があるのかもしれない」と数日後に総合病院を受診。
でも耳鼻咽喉科で喉の奥まで調べても特に異常は見られませんでした。
「数日前にこういうことがあってから、本当に飲み込んでくれないんです・・・」
「一口食べさせるだけで、すごい大変なんです・・・」
「このままじゃ、死んじゃう・・・」
と泣きながら先生に訴える私。
すると先生は「食べられるようになるまで、入院して点滴をしましょう」とおっしゃってくださいました。
こうして病院でお世話になることになった息子。
まだ2歳半の息子の入院は親も付き添いです。
でも、当時2歳離れた娘は乳児・・・
小児病棟には娘を連れていくことはできません。
そのため、私の母も一緒に付き添いを手伝ってくれました。
昼間、娘は病院の待合室で過ごし、授乳の時は母が息子のもとへ、授乳以外は私が息子のところへ行きました。
でも、夜は・・・
私と娘が家へ帰り、母が狭い病院のベットで息子と添い寝・・・
お母さん大変だったね・・・ありがとう。
そして翌朝、再び私と娘が病院へ行くという流れでした。
病院食はおかゆと柔らかくしたおかず・・・
でも、ちょっとでも食感のあるものは息子は受け付けません。
その既に柔らかい食事を更にスプーンですり潰す私・・・
もうどろどろの離乳食初期の状態・・・
そこまでしても、飲み込んでくれない・・・
水分をスプーンで少しずつ与えるのが精一杯でした。
もうここまで来ると、「しゃべれるようになってほしい」という希望から、「しゃべれなくてもいいから、食べれるようになってほしい」という希望に変わるんです。
もうちゃんと食べれて健康で元気だったら、それだけでいい・・・って。
あとは何もいらないから、ちゃんと栄養を摂れるようになってくれたらいい・・・って。
命さえあればいい・・・って、そうなってくるんですよね。
当時は「しゃべれるようになってほしい」という希望がすごく贅沢なものに感じるようになっていました。
ここで、「食べられること」って生きていくうえで絶対に必要なことで、「食べられること」ってすごい幸せなことって気づいたんです。
普段、何気なくしている食事がこんなにも大切なことで、こんなにも必要なことで、こんなにも感謝しなければいけないことだったのか・・・って。
何日も何日も食事を摂らない息子から、そんな大切なことを教わりました。
こうして、入院して3~4日が経ち・・・
入院前も2~3日ろくに食事をしていなかったので、もう1週間が経っていました。
点滴で元気を保っているという状態・・・
この点滴が命綱・・・という感じでした。
そのおかげで元気にしている息子は、点滴の管をどこかに引っ掛けてしまい、管が手から抜けてしまう始末・・・
血液が溢れ出し、ベットは血だらけになって、私はもうパニック状態で・・・
でも、ナースコールを連打して慌てている私に、看護師さんはいたって冷静(笑)
「大丈夫ですよ(^^)」とささっと処置をしてくださって。
いつも私たちの不安を取り除いてくださるお医者さんや看護師さんの方たちには敬意の気持ちでいっぱいです。
言葉のしゃべれない息子との病院のベットのみの長い時間・・・
いくら絵本があっても足りず、タブレットで動画を見せたり、狭いベットで抱っこをしてお昼寝をさせたりしていました。
ただでさえ、落ち着きがなく同じ場所にじっとしているのが苦手だった息子との入院生活はまるで地獄のよう・・・
母も私も本当に疲れ切っていました。
絵が苦手な息子が意欲的に絵を書いた?!~「楽しい感情の共有」が生み出した大きな成果とは?~
未熟児で産まれ、幼少期に軽度知的障害を患っていた影響か、息子は「絵を書くこと」が非常に苦手です。
苦手な言葉よりも更に苦手な視覚認知・・・
パズルやブロックをはじめ、折り重なる線の中に隠れた図形を見つけることも困難です。↓
だから、子供であれば暇つぶしにでもやるような「お絵かき」を息子は自らすすんで行うことはありません。
「お絵かきしようよ(^^)」と誘っても・・・
「僕はできないから・・・」
と返されます。
でも、まだまだこれからも強制的に絵を書く機会は出てきます。
それが図工の授業・・・
これからもずっと「僕はできないから・・・」と嫌な気持ちでその時間を過ごすのかな?
別に上手じゃなくたって、少しでも自信をつけることができたら、取り組む時の気持ちが全然違うんじゃないかな?↓
そう思った私は再度「お絵かきしよう(^^)」と息子を誘ってみることに。
「やだよ」
そうだよね(^-^;
「それよりフリスビーしたい!」「お母さん、一緒にフリスビーしようよ!」
なるほど、なるほど。息子は私とフリスビーがしたいのか!
「じゃあさ、この絵と同じ絵が書けたら〇分遊んであげる(^^♪」と、初級コースは簡単なうさぎの顔を書けたら2分、中級コースはアンパンマンの顔を書けたら3分、上級コースは少し凝った人の顔を書けたら5分・・・と、レベルに合わせて遊べる時間を設定してみました。
というわけで、全部書けたら10分私と遊べます(笑)
もちろん、最初の初級コースと中級コースは息子でも楽々書けるものにして、まずは絵を書く意欲をそそります!
私がチャレンジしてほしいのは上級コースの「少し凝った人の顔」。
でも本当は人の体まで書いてほしいのですが、最初に大変なところまで提示してしまうとやる気がなくなってしまうので、ここはまだ書きません。
大事なのはまずは絶対に書けるものを書かせて、次はちょっと頑張ればできそうなものをチャレンジさせる。
更なるチャレンジはその次の段階で目の前に出していきます。
これって、勉強においても同じことが言えますよね。
そして、レベルによって遊べる時間を設定したことで息子の中でゲーム感覚となり、まんまと「やる!」と言い出しました(^^)v
だって、まずは絶対に書ける中級コースまでを書けば5分は確実にゲットできるのですから(^^)
もうその流れを作ってしまえば、その次の上級コースもやらないわけはありません。
もう息子の中では、絵を書く苦手意識よりも「もっと遊べる時間を増やすぞ~」という時間との戦いに変わっています(笑)
こうして意識をずらすことによって、苦手なことでも取り組めるようになるんですね(^^)
意欲満々になった息子は、何度か書き直しをしながらも見事に上級コースを制覇しました☆
これはただ単に「マネでいいから絵を書こうよ!」では成し遂げられなかったと思います。
だって、自分にメリットがなければあえて苦手なことってやらないですよね?
苦手なことに取り組むためには、こうして簡単なメリットを提示してあげるだけで楽しくできるようになることもあるんです。
そして、そこで感じた「できた!」という気持ちが、次の大きなチャレンジにつながっていきます。
そんな気持ちの流れを予想していた私は、あえて最初の段階で体まで書かなかったんです。
だって、息子はもっと遊ぶ時間を伸ばしたいに決まっているし、この上級コース制覇によって自信をつけるから( *´艸`)
案の上、息子は「ねえねえ、10分コースは?」って(笑)
一気にプラス10分をねらっている様子(笑)
だよね?やりたいよね?(笑)
「10分コースもあるけど、それは難しいよ~」「どうする?」
すると息子は「やる(^^)/」と(笑)
こうして、この段階で私は人の体を含めた絵を書いたんです。
きちんと、首を書いて、肩を書いて、腕を書いて、肘も書いて・・・
全身全てを書きました。
これは今まで見本を見てもなかなか書けなかったもの。
どこから線が出ていて、どういう空間があって、どこにその線がつながっていくのかがなかなか理解できない息子にとっては難題です。
普段、絶対書きたがらないのに、夢中で鉛筆を走らせる息子(笑)
何度も何度も消しゴムで消しながら、私が書いた見本を見て一生懸命に書いていきます。
その間、投げ出すことも、諦めることもなく・・・
すると、ついに全体像を書き終えることができました!
でも、3か所明らかに違う形が・・・
それは襟と左肘とくつのヒール。
でもでも、以前に比べたら圧倒的な出来栄えでした(^^)
「すごいじゃん!書けてるよ!」「前はこんなに書けなかったのに、やっぱりできるようになったじゃん(^◇^)」
としっかり褒めたあとに、「この3か所だけ直してくれる?」と修正を促がしたところ、文句も言わずに素直にしっかりと直してくれました(^^)
こうして、完璧な人の体を書けた息子は気分を良くして、私と遊ぶ時間を20分ゲット!!!
時間ゲットもそうだけど、何より体をきちんと書くことができて本当におめでとう(^_-)-☆
また、一つできるようになったことが増えたね(^^)/
できるようになったことはほんの小さなことかもしれないけれど、「絵は書きたくない!」と拒否していた気持ちが、「ちゃんと書けた!」に変わって、また次に書くときも意欲的に取り組めるようになったことが何よりも大きな報酬だね!
こうして、私は約束通り全力でフリスビー遊び(笑)
廊下と寝室をつなげて長い距離を確保し、柔らかいフリスビー2個で投げ合いです(笑)
今回のルールは相手に当てたらポイントゲット!
というか、これとても盛り上がって楽しいのですが20分全力はきつい・・・(^-^;
娘も入って3人でやったのですが、みんな汗だく(笑)
でも、息子も娘も大満足で♪
私も息子の苦手意識を少しでも改善することができて大満足♬
私が何度も息子に言う言葉・・・
『上手じゃなくていいんだよ。前よりちょっとでもできればすごいこと!』
『そのちょっとでも「できた!」という気持ちが楽しさに変わるよ(^^)』
そうなんです・・・
苦手なことは、周りと比べてできるできないを判断する必要はない。
勝負は得意なことでしていこう。
でも、苦手なことを完全拒否してしまったら、自分の殻に閉じこもってしまうだけ。
苦手なりにも、自分のペースを作ることができたら、人生もっと楽しめる。
そんな「自分のペース」をしっかりと作っていこう!
そして、今回の作戦を成功させた大きな鍵は・・・
遊ぶ時は、親も子供と一生懸命に全力で楽しんで遊ぶ!
ということ。
これを普段からしていたから、息子は私と遊ぶ時間欲しさに苦手な絵も意欲的に取り組むことができたんですよね?
遊びたいという気持ちが発生するだけではなく、「楽しい感情を共有する」ということは人間関係においてとても深いつながりを作り上げます。
そうして、「楽しい感情を共有できた相手」とは大変なことも一緒に頑張ろうという気持ちが芽生えるんです。
そんな大事な「気持ちの共有」を作るために、「全力で子供と遊ぶ!」ということはとっても有効です(^_-)-☆
あるホームレスの方との出会い~「真の優しさ」とは何かを考える~
もう10年以上前の話です。
まだ、お姉ちゃんが体の不調を抱えながらも、電車に乗ってお出かけができていたあの頃・・・
そんなお姉ちゃんと私が、とある川岸を散歩していました。
普段は行かない奥の方まで足を運んでみると、そこにはブルーシートでできた大きなお家が。
そう、ホームレスの方のお家でした。
「おう!」
陽気に声をかけてくださったその方に、私たちも「こんにちは(^^)」と挨拶をしました。
すると、そのブルーシートでできたお家を案内してくださって。
「ここが寝室で、こっちがリビング」
「この水槽にはそこの川で捕まえたドジョウがいるんだよ!ペットだよ(^^)」
「これが俺の船(^^)」
立って移動ができるほどに天井も高く、奥行きもとても広くて、本当に寝室とリビングに分かれていました。
「すごいですね~!」と驚く私たちの反応もうれしかったのか、とても明るく陽気に接してくださいました。
少しの間、立ち話をしていると「これ飲む?」と新しい缶のお酒を勧めてくださったホームレスの方。
そのご厚意は丁重にお断りさせていただいたのですが、私たちに勧めてくれたその2本の缶はその方にとってとても大切なお酒のはず・・・
そんな2本のお酒に私は「真の優しさ」を感じました。
とても裕福とはいえないその生活の中で、自分の貴重な食料を分け与える・・・
その方が何よりも必要としているのは「心のつながり」だったのかもしれません。
様々な経緯があって、ホームレスという道を歩むことになった方たちは、果たして全てが自己責任なのか?
私はどうしてもそう思うことができません。
病気で職を失ったのかもしれない、思うように人間関係を構築できずに頼れる人がいないのかもしれない、精神を壊して社会には復帰できないのかもしれない・・・
そもそも、現代では発達障害というものが世間で浸透しているものの、現在のホームレスをされていらっしゃる方たちの時代はまだそういった障害は認知されていませんでした。
だから、もしかしたらそういった先天的な要素が原因の場合もあるかもしれません。
周りに理解されないまま苦しんでいたのかも・・・
この競争社会で生き抜いていくためには、私はかなりの能力が必要だと思っています。
それは発達凸凹の息子を育てていて強く感じることです。
自分の力で生きていくためには、最低限のレベルが高いです。
知識も学力もコミュニケーション力も体力も精神力も・・・
普通に生きていくって、そんな簡単なことではないんですよね。
そのため、どこかでうまくいかなくなって、その「普通の生活」ができなくなることって当たり前に発生することでもあると思います。
だから、そんな苦労を経験されながらも、私たちに差し出してくださったあの2本のお酒に、私は心を揺さぶられたんです。
とてつもない優しさを感じ、心のつながりの大切さを教えてもらいました。
なぜ、こんな10年以上前のことを思い出したのか・・・
それは、今回の台風災害での『ホームレスの避難所問題』・・・
賛否両論飛び交っていましたね。
そんな中で「何をされるか分からない」といった意見が・・・
でも、私が知っている限りでは、ホームレスの方はいつも被害者となる事件ばかりです。
なんだか、そんな世の中に「弱いものいじめ」の風潮を感じずにはいられません。
子供たちには「弱いものをいじめてはいけない」「困っている人を助けてあげよう」「命を大切にしましょう」と教えているにも関わらずに、もう社会の風潮が『弱者は排除する』というような感じになってしまっているのかな?とさえ感じました。
一方では大切な2本のお酒を分けてくれようとしたホームレスの方がいて、もう一方ではあの最強台風でも避難所の受け入れを拒む方たちがいる現実・・・
「真の優しさ」とは何かを考えさせられました。
では、私は直接的な支援ができるのか?と言えば、それはできないんですよね・・・
自分の中にも大きな矛盾があります。
ただ、真冬に公園で寝ている方に暖かい飲み物をそっと渡すことはできるかもしれない・・・
そんなちょっとの思いやりが、また「頑張ろう!」という活力に変わっていくのかも・・・
一人ではなく二人ではなく、全ての人たちがそんなちょっとの思いやりを相手に伝えることができたら・・・
これはホームレスの方たちに対する思いやりだけではなく、日常生活全てにおいて通じる話です。
家庭でも、学校でも、職場でも、どこでも・・・
過去記事にも書かせていただきましたが、人の心を動かす時に必要なのは「厳しさ」ではなく「優しさ」です。↓
だから、世の中をもっと「優しさ」で包むことができたら、みんなが生きる活力を見出して、ホームレスの人口も減ってくるかもしれません。
何かを頑張る力、何かに意欲を持つ心、そして未来に希望を持って行動していくには、「真の優しさ」と「心と心のつながり」がとても大切になってくると思います。
子供たちにもそんな二つのことを大切にできるような人間になってもらえるよう、今の私には何ができるのかを考えながら生活をしていきたいと思っています。
台風被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
台風19号の被害・・・
水害が広がってしまいましたね・・・
まずは、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
住んでいる地域によって、ここまでの差が生まれてしまう現実を目の当たりにして、運命の残酷さを感じずにはいられませんでした。
今は何の傷も癒えずに、ただ目の前の作業に没頭する日々が続いていらっしゃることと思います。
今回の災害だけでなく、日本は自然災害がとても多い国ですね。
私が大人になってから、その頻度が高くなっているようにも感じます。
「備え」と「対策」・・・
頭では分かっているつもりでも、できる範囲で行動していても・・・
それを上回ってくるのが、この自然災害なのですね。。。
人は経験したことに対してはしっかりと「備え」と「対策」をすることはできるかもしれないけれど、未経験のことに対してはそこが不十分になってしまうこともあるのだと思います。
ただ、今回のような大きな自然の猛威に対して、どれだけの「備え」と「対策」をすれば立ち向かえたのでしょうか・・・
そんな思いで途方に暮れている方たちもたくさんいらっしゃるかもしれません。
多くの被害と深い傷を負って、全てがボロボロの状態・・・
でも、そんな中でもまたゆっくりと小さな光を拾い集めて、いつか大きな希望に変えていってもらえたら・・・と願っています。
『困難の中でも光を見つける』
私はこの言葉を軽い気持ちで使っているわけではありません。
下記の記事のように、20年以上も病に苦しむ姉と過ごしていくうちに感じた私にとって人生で一番大切な言葉です。↓
困難は乗り越えられるから与えられる「試練」ではなく、「運命」だと思っています。
その選ぶことのできない「運命」の中で、どう生き抜いていくのか・・・
生き方を選択することはできるかもしれないけれど、そこで待ち構える「運命」は自分では選ぶことのできないもの・・・
でも、またそこで自分の「気持ち」や「考え方」を選ぶことはできる・・・
自分の底力を信じて・・・
これは、私自身が自分に課している人生の大きなテーマです。
お金でもなく、知識でもなく、地位や名誉でもなく・・・
本当にすごいこととは「困難の中でも光を見つけること」だと思っています。
今回もまたこの大切な言葉を感じずにはいられませんでした。
少しブログをお休みしていましたが、台風の気圧の影響だったのかここ数日体調を崩しておりました。
普段は続くことのない頭痛に何日も悩まされ、病院で検査もしてもらいました。
以前、閃輝暗点の症状について簡単に書かせていただきましたが、頭の画像検査の結果、やはり片頭痛が原因ということが分かりました。
ただ、閃輝暗点はまれに脳梗塞や脳腫瘍といった怖い病気が隠れている場合もあるので、今回片頭痛という診断がはっきりとされて安心しました。(数年前の神経内科の簡単な検査でも片頭痛とは言われていたのですが・・・)
というわけで、またマイペースにブログをアップしていきます。
子供たちはとっても元気です(^^)/
現在、台風19号がやってきております。
私が住んでいる地域は、現在台風の猛威の真っ只中です。
窓ガラスが揺れています。
マンションであるにも関わらずに、突風で建物自体にも揺れを感じる時があります。
多くの川が氾濫し、たくさんの浸水被害も出ていますね。
停電してしまっている地域のみなさまも心配です。
とにかく、一人でも多くの命が守られることを祈ります。
みんなで助け合いましょうね。
いつも私が大切にしている「思いやり」と「助け合い」・・・
それぞれができる範囲で、困っている人が近くにいたら、手を差し伸べたいですね・・・
消防の方々も心配です。
その他、やらなければいけないお仕事をされていらっしゃる方たちの安全も確保されますように・・・
「笑われる」と「笑わせる」~この一文字の違いが大きな人生の差を生み出します~
つい最近、息子が「クラスのみんなに笑われた~!!!」と、少し興奮気味に学校から帰ってきました。
え?
みんなに笑われたって・・・
ついに、吃音で笑われたのかな?
いや、でも進級してからだいぶ経つのに、今更そんなことってあるかな?
担任の先生もずっと「みんな得意なことも、苦手なこともある」という大切な軸を子供たちにぶれずに教えてきてくださって、子供たちにもしっかりと浸透していたはず・・・↓
しかも、私だってクラスの子供たちと積極的に絡んできて、いい関係を作ってこれたと思っている。↓
何を笑われたんだろう・・・
何をからかわれたんだろう・・・
しかも、クラスのみんなになんて・・・
・・・・・・
「ねえ、何を笑われたの?」
すると、息子は・・・
「僕さ、お笑い係じゃん?」
「それで、僕一人で20人くらいが笑ったの(^^)」
「いや、ほんとに。もっと笑ってたかな~」
「お腹抱えながら、みんなすごい笑ってたよ~♪」
って、自慢げに話が始まって(笑)
なるほど(笑)
そうなんです!クラスに「お笑い係」というものがあって、クラスで3~4人くらいが担当しているのですが、息子はその「お笑い係」の一員なんです(^^)
それで、いつもはその3~4人でみんなを笑わせているのを、その日は自分一人でやったのに、たくさんのクラスメイトが笑ってくれたよ!
ということだったんです(笑)
つまり、息子は「僕一人で、クラスのみんなを笑わせた!すごいでしょ?」ということ自慢したかったんです(^◇^)
「笑われる」と「笑わせる」って、一文字しか違わないのに、すごいニュアンスの違いがありますよね?
そして、その一文字の違いに気づいた時に、その一文字の大切さも感じたわけです。
特に息子にとってはこの一文字が今後の人生を大きく左右するものとなります。
人に「笑われる」のか、人を「笑わせる」のか・・・
勉強ができるできない、運動ができるできない・・・
このくらいのことであればみんなも同じなので、しっかりと子供たちに指導をすれば、そうそう「笑われる」ということはないと思います。
ただし、表面的にも日常的にも分かりやすい吃音に関しては、どうしても「笑われる」対象となってしまっています。
それは、大多数の人たちはちゃんとしゃべれて、吃音障害を抱える人たちは少数派だから。
多数決でそんな状況が作られてしまうわけです・・・
怖い世界ですね。
吃音も立派な疾患であるにも関わらずに、「笑い」や「からかい」が発生してしまう。
他の病気の人に対してはそんなことは起こらないのに、過去記事にも書いた『夜尿症』同様に吃音も「笑われる」対象です。↓
きっと、みんながその疾患を患って、その苦しみを感じることができれば、そんな「笑い」も「からかい」も起こらないはずだけど、どうしても人は自分が経験しないとそこまでの境地に行けないんですよね。
もちろん、経験しなくても想像でしっかりと理解ができる人たちがたくさんいるのも事実ですが、想像だけでは理解できない人たちがたくさんいるのも現実です。
そんな世界の中、息子はこの吃音を抱えながら生きていかなければいけない。
もちろん、程度が軽くなって治る可能性もあるかもしれないけれど、今の状況を見る限り、治すというよりもうまく付き合うという方向で考えていった方が良さそうです。
人に「笑われる」可能性の高い障害・・・
そんな環境だからこそ、吃音患者の方たちは機能的な面でしゃべりにくいだけでなく、それ以上のストレスを抱えていかなければいけないわけです。
息子はまだ小学生・・・
されど、小学生・・・
もう、小学生・・・
どんどん、この吃音に関してはこれからの周りの反応を含めてストレスが大きくなってくるかもしれません。
じゃあ、どうするのか?
それであれば・・・
笑われる前に笑わせたらいいんじゃないか?
じゃべり方がおかしくたって、言い回しがおかしくたって、本人が明るくて元気で前向きだったら?
みんなと違う部分が目立っていたって、自分に自信を持てて、好奇心旺盛で、なんだか分からないけどいつも笑っている子だったら?
そしたらきっと、周りの人たちはそんな息子の魅力に「からかい」ではない笑顔で寄ってくるのではないでしょうか?
だからこそ、私はこの息子の「明るさ」と「元気」と「人を笑わせる行動力」を必死で守っていかなければいけないと思っています。
吃音があったって、クラスの人気者になれる・・・
吃音があったって、クラスのムードメーカーになれる・・・
「笑われる」のではなく、「笑わせる」人間になれるように・・・
別に「お笑い」というカテゴリーに縛られなくてもいいけれど、今の息子を支えている大事な要素のひとつはそんなおふざけの「お笑い」です。
このまま「お笑い」のキャラに徹するのもよし、年齢と共にちがった魅力を出していくのもよし・・・
とにかく、内面を輝かせよう☆☆☆
魅力ある人間になれるように。
周りが吃音を気にしないレベルの人柄を作ってしまおう。
今は無意識にそんな大切なことができている息子くん。
大きくなって悩むことがあれば、しっかりとその大切なことを本人に自覚してもらおう。
「笑われる」のではなくて、「笑わせる」が重要。
そのために、どんな人間になればいいのか。
一緒に考えていこう。
P.S
ちなみに、今回、息子一人でクラスの子たちを笑わせた内容は・・・
変な踊りでした(笑)
PTA推薦委員会ってどんな雰囲気?~誰もやりたくない世界を覗いてみました~
以前、PTAに関する記事を書かせていただきました。↓
上記記事の通り、現在私はPTA活動の一環として地区委員の委員長をしております。
そして、わが校の場合、その各委員会の委員長の中から、推薦委員会の委員長と副委員長が選出されます。(推薦委員会の仕事とは、主に『次年度のPTA役員の選考 』です。)
今までの選考方法として、わが校では推薦委員の方たちはPTA役員にふさわしいと思う方を推薦するのみで、直接電話をかけるのは推薦委員長(副委員長は補佐)でした。(ただし、詳しい仕事内容の説明等は現在のPTA役員の方が行います。)
PTA会員全体に向けても、自薦他薦問わない形でPTA役員候補をお手紙にて募っていましたが、ほぼ回答はゼロの状態。
というわけで、各委員長は誰もこの推薦委員長と副委員長をやりたくない・・・
PTA役員は正直仕事内容が多岐に渡り、学校へ招集される機会も多く、各委員の方たちとのやり取りなども含め、とても大変なお仕事をされています。
現在もPTAに関しては様々な意見が飛び交うほど、私たち親にとって負担が大きいのも事実です。
これに対しては私なりの必要論を以前の記事で書かせていただきましたが、やはりPTA役員となるとその負担の多さから逃げ腰になってしまうのが正直な気持ちです。
と、そこでその負担の大きいPTA役員に誰かを推薦しなければならない推薦委員会。
そして、気が進まない方たちに電話をかける推薦委員長と副委員長およびPTA役員・・・
いやあ、これって本当に大変な世界ですね。
誰もやりたくない・・・
と、そんな状況で、見事に私・・・・
推薦委員会の副委員長になりました( ;∀;)
地区委員の委員長決めの際も、じゃんけんの勝ち抜き戦で勝って・・・(笑)
今回の推薦委員会の委員長および副委員長決めも、じゃんけんの勝ち抜き戦で勝ちました(笑)
私・・・
どんだけ、じゃんけん強いんだろう・・・(^▽^;)
宝くじでも買ったほうがいいですか?(笑)
ただし、「じゃんけんで負けますように!」と祈っていた私は、嫌でもなんでもやると決まったからには楽しくやりたいタイプ(^_-)-☆
もう、じゃんけんで勝った時点で、さくっと気持ちを切り替えることができました(^^)v
昨日はそんな推薦委員会の発足日!
現在のPTA役員および推薦委員長と副委員長は、全体の集合時間の30分前に集まりました。
ちょっぴりドキドキしながらも、何とも言えないすがすがしい気持ちでPTA室の扉を開けると・・・
みなさん「おはようございまーす(^^♪」と、めちゃめちゃ元気!
すごいですね(^^)
覚悟を決めて「やる!」と決めた人たちに曇り空はありません(笑)
なんだか、この空気・・・
とっても気持ちいい(^◇^)
PTA役員の方たちは既に準備をされていて、早速私も名札作りのお手伝い。
その後、改めて推薦委員会の説明を受けました。
すると・・・
今回から、選考方法を変えますと。
【新しい選考方法】
①PTA役員を募る自薦他薦問わないアンケートを全員提出にする。
②対象者に向けたPTA役員に関する説明会を行う。
③そこで決まらなければ、前年同様に個別で電話対応。
というものでした。
もちろん、他薦で推薦された方には説明会のご案内の電話は必要になり、そこで参加の有無を確認する作業が発生しますが、PTA役員としては詳細の仕事内容を一度にしてしまいたいというねらいがあるようです。
いや、ごもっともですよね。
他校ではこの方法で次年度のPTA役員が決まりやすかったとの情報から、やり方を変えてみようとなったそうです。
ただし、わが校は初の取り組み・・・
どれだけの方がこの説明会に参加してくれるのかは、全く分りません。
「どうしたら負担を減らせるか?どうやったら流れがいいのか?」と、みなさん手探り状態(^-^;
それだけ、このPTA役員の選考は大変だということです。
だって、ほとんどの方がやりたくないから。
いくら理想を語っても、これが現実です。
ただ、大多数はやりたくないと思っている仕事でも、興味を持って取り組んでくださる方や、「誰もいないなら・・・」と手を上げてくださる方もいらっしゃるのも現実です。
そして、そんなみんなが「やりたくない世界」はけっこう深い繋がりもできていて、「プライベートでも仲いいよ♪」って(^^)
「スーパーににんじん買いに行っただけなのに、役員同士で会ったら1時間しゃべってた(笑)」とか。
一人の方が変なおもしろい説明をしたら、別の方が「はいはい、この人の言うことは半分聞き流さないと疲れますよ~(^^)」とか(笑)
とても風通しが良く、『大変な仕事でも気持ちよく行いましょう(^^)』といった雰囲気が感じられました。
こういった雰囲気を作れるのは、それぞれの気持ち次第ですよね。
殺伐とした雰囲気を作るのも、風通しのいい雰囲気を作るのも、そのメンバー次第だと思います。
特に今回感じたのは、やはりそのメンバーの中心となる方(長年PTA役員で活躍されていらっしゃる方)が、とてもフレンドリーでユーモアがあって優しいということ。
何でも、その組織のトップや中心に立つ方の能力や人柄によって、雰囲気が作られていく部分があるのではないかなと改めて感じました。
そして、その役員の中心を担う方の魅力と、いざそこに入ったメンバーそれぞれの素敵な思いが相乗効果を生み出し、「誰もやりたくない世界」を「居心地のいい世界」へと変えていくのだということが分かりました。
だから、わが校のPTA役員は何年も続けていらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。
だいたい毎年、子供の卒業で抜けるメンバーの補充で、このPTA役員の選考を行っているようです。
外部から見ていた時は、「一歩足を踏み入れたら、抜け出せない世界」という印象だったのが、直接たくさんの役員の方たちと接してみて、またそのやり取りや雰囲気を見てみて、「居心地が悪くないから、他にやる人がいなければまたやってもいいかな(^^)」という継続につながっているのだなということが伝わってきました。
そんな「誰もやりたくない世界」に足を踏み入れた人たちは、思っていたよりも明るく、思っていたよりも優しく、思っていたよりも楽しい世界で一生懸命にお仕事をされていました。
「誰もやりたくない世界」をここまでの状態に持っていけることに対して、それぞれの人間性の奥深さを感じます。
このように、昨日は組織やグループのあり方について考えさせられる一日となりました。
どんな組織も、どんなグループも、そこに集まる人の気持ちや志次第で良くも悪くもなり、特にトップや中心を担う人が良いパワーを積極的に発信していくことによって、その波動が隅々にまで行き渡る。
そんな大切な気づきを与えてくださったわが校のPTA役員の方たちに敬意を表します。