⑭離乳食に戻った2歳6カ月の息子~「試練」は乗り越えると大きな力となる~
前回のあらすじはこちら↓
まともに食事をしなくなってから約1週間・・・
病院に寝泊まりする母も、乳児の娘を連れてあれやこれやとバタバタする私も疲れはかなりたまっていましたが、病院にさえいれば息子の命が失われることはないという安心感がありました。
「いつまで食べないのだろうといった不安」と「ここにいれば大丈夫といった安心」の相反する気持ちを抱えながら過ごしていた入院生活・・・
息子は泣いたり、わめいたり、暴れたり・・・
でも、ニコニコ笑ったり、一生懸命に絵本にシールを貼って楽しんでいたり、大好きなDVDを見て興奮していたり・・・と穏やかな時間もありました。
息子も「不安」と「安心」が共存している・・・
一緒だ・・・
とにかく、食べ物を口にするまでここにいられる・・・
一番守りたい命を守ってあげることができる・・・
だから、大丈夫・・・
私と母で息子が食べるまで頑張る。
そんな気持ちでいたある日・・・
ずっと病院食以外にも息子が大好きなバナナやクッキーなども持ち込んでいたのですが、そのクッキーを食べたんです!
「食べた!!!!」
その時は、数口のみでしたが、ちゃんと飲み込んでくれたんです!
約1週間ぶりに水分以外のものを口から飲み込んだ・・・
まだ、この日は他のものは口から吐き出してしまっていましたが、翌日、翌々日と食べられる量や種類がほんの少しずつ増えていきました。
食べるようになったといっても、基本的には固形物はNG。
柔らかい病院食を更に潰したどろどろの離乳食でした。
それでも、これなら栄養を摂ることができる!と、どろどろの離乳食を口にする2歳6カ月の息子を微笑ましく眺めていました。
それから、数日・・・
食べられるようになった量もしっかりと増え、退院が決まりました。
「本当にありがとうございましたm(__)m」
と、頭を下げて病院を出た私と息子。
ただ、喜びもつかの間・・・
これからは点滴なしで、全ての栄養を口から摂取することになります。
食べられるようになったと言っても、固形物はまだだめ。
どろどろの離乳食すら、積極的に食べるわけではなく、本人のご機嫌を伺って少しずつ口に入れていく感じです。
満足いく量を食べさせるのに、毎回2時間くらいかかるんです・・・
家に帰って、息子の食事はまずみじん切り・・・
こすまではしなかったのですが、形がなくなるくらいまでどんどん包丁でたたいていきます。
息子が大好きなトマトは皮をむいて、種をとって、これもぐちゃぐちゃになるまで刻みます。
ミキサー買えば良かったです(-_-;)
まさに、離乳食が再び・・・といった感じ。
手間暇かけて作ったその離乳食すら、すんなりとは食べてくれないので、遊びながら意識をそらしながらの食事です。
こうして、食べ始めから食べ終わるまでに約2時間・・・
準備も含め、毎回の食事がどれだけ大変だったことか・・・
少しずつ、少しずつ、刻み方を荒くしていって・・・
少しずつ、固ゆでにして・・・
本人が気づかないレベルで本当に少しずつ普通の食事に戻そうとしていました。
それでも、少しでも固形物を感じればすぐに食べ物を吐き出す息子。
その度に私は泣いていました。
当時、実家に帰っていた私。
息子に食事を食べさせるのは、お姉ちゃんの方がうまかったです。
過去記事にも書きましたが、お姉ちゃんはユーモアあふれる楽しい人(^^)↓
息子を楽しませるのはお手の物♫
当時の息子は笑って何かに夢中になっている時は、よくその離乳食を飲み込んでくれていました。
食事がストレスにならないように・・・
普段から楽しい雰囲気を作るように・・・
私一人では絶対にできなかったその環境・・・
お姉ちゃんがいたからこそ、息子はしっかりと食事を摂ることができていました。
そんな生活が1カ月程度続き、ようやく安定して食事を摂れるようになった息子。
まだ、完全に大人と同じものまでは食べれませんでしたが、小さく柔らかいものであればきちんと食べられるようになっていました。
そして、私は息子と娘を連れて自宅へ・・・
ただ、誰の助けもなく今度は一人で食べさせなければいけないプレッシャーに襲われました。
息子用に食事を作り、いざ食べさせる時間・・・
ドキドキと緊張していたのを今でも覚えています。
お姉ちゃんのあの夢中で楽しませる技がない・・・
私はそれでも必死に明るく振る舞い、息子に食事を与えていました。
それでも、再び吐き出すこともあった息子・・・
胸が締め付けられるような思いをしながらも、息子と遊びながら食事を口へ運ぶ私。
そんな潰れそうな思いをしながらも、毎回毎回必死で食事を与えていました。
そうして、吐き出す回数も減っていき、どんどん大きなものも固いものも食べれるようになっていって・・・
完全に元に戻るまでは2カ月程かかりました。
そして、この食事の事件をきっかけに急に公園のハトに怯えるように・・・(今は大丈夫です)
今まで元気に追いかけていたのに・・・
食事も摂れなくなって、性格まで変わってしまって・・・
あの時の喉の違和感に恐怖を感じ、急に病院へ連れて行かれて、苦しい喉の検査をして、入院をして、点滴につながれて・・・
何が嫌なのか、何が怖いのかを説明することすらできなかった息子は、当時何を思っていたのでしょうか・・・
言葉にできないストレス、自分の思いが相手に伝わらないストレス、母親である私の気持ちが不安定なことに対するストレス・・・
たくさんのストレスがあったことは間違いありません。
それでもいつも私を求めて、私に甘えてきた息子。
イライラしながらも、泣きながらも、一生懸命に食事を与え続けた私の愛情は伝わっていたかな?
土台は大きな愛情で固められていたにも関わらずに、あまりにもいろいろなことが起こる現状に耐えきれなくなって、当時はそのイライラを息子にぶつけてしまったりと辛い思いもたくさんさせてしまったと思います。
まさに、親子で必死に成長しているという感じ・・・
ねえ、息子くん。
当時より、今の私はだいぶ強くなったかな?
この食事の件だけでなく、たくさんの「試練」を乗り越えてきたからこそ、その経験が大きな自信となって今の私を作ってきたような気がします。
でも、まだまだこれからもいろんなことが起こるよね?
また、一緒に乗り越えていってくれるかな?
私が息子を支えるつもりが、息子の強さに支えてもらっていることがたくさんあります。
まだまだ未熟なお母さんをいつも「大好き!」と言ってくれてありがとう。
お母さんも、あなたの強さに負けないようにこれからも頑張ります(^^)/