子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

⑤小さな小さな未熟児の息子が未熟児のまま退院するまで~母親としての強い気持ち~

前回のあらすじはこちら

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出産後、一週間が経過して私が退院する頃、息子はたくさんの管が外れ保育器を卒業しました。それでも、血液中の酸素を測る機械や心拍を測る機械などが取り付けられており、NICUからは卒業できません。保育器が並べられた部屋の隣にある小さな小さな新生児用のベッドで過ごすことになったのです。

 

私は退院して実家に戻り、そこから息子が入院している病院まで通う日々が始まりました。

 

先生からは私の負担も考えてのことだったのか、「1日1回、母乳やミルクをあげたり、オムツを替えたりしに来てくださいね」と言われました。

 

私は小さな息子を病院に残し、後ろ髪を引かれる思いで退院したわけですから、「午前と午後の2回来てもいいですか?」との希望を伝え、その日から1日2回息子がいる病院へ足を運ぶことになりました。

 

実家から病院までは電車で15分、そこから歩いて10分といったところでしょうか。産後間もない体ではありましたが、息子に会いたい一心で体の疲れも感じないくらいでした。

 

家では2~3時間おきに搾乳をし、フリーザーバックに入れて母乳を凍らしてから、病院へ持っていきました。夜中も目覚ましをかけて風呂場で搾乳をする日々。息子がいないので、自分で管理をしないといけません。

 

ただ、まだ出産後1週間。体質的なものもあったと思いますが、この頃は思うように十分な母乳が出ずに、2~3時間おきの何十分もかけての搾乳は、あざが出来るほどで本当に大変でした。

 

それでも、食事の用意や身の回りのことは全てやってもらえる環境にいたので、私は自分のことと病院通いを頑張ることができたのかもしれません。

 

こうして、頑張って搾乳した母乳を持って、病院へ向かいました。

 

NICUに入る前には必ず消毒をしてから入室します。そして、いよいよ半日ぶりの息子との対面。

 

まだ2,000グラムにも満たない小さな息子でしたが、一生懸命に手足を動かしたり、大きな声で泣いたり、とても元気にしていました。

 

その頃は保育器から出ていたので、抱っこも自由にできます。

「今日は何してたの?」「お腹すいたかな?」「ここは、暖かいね。」など、まだ言葉が分からない息子に対して一生懸命に話しかけていました。すでにこの頃から、私は言葉のシャワーを意識して息子と接してきましたが、その後息子は言語発達遅延を患うことになるのです。

 

NICUの病室では、息子に直接母乳を飲ませることができました。そして、体重を測り、足りない分をミルクで補うのです。凍らせて持ってきた母乳は私がいない時用です。

 

そして、オムツを替えたり、頭をなでたり、抱っこをしたりと、毎回2時間くらいは滞在しておりました。

 

初めは触ったら壊れてしまいそうな小さな息子を扱うことがとても怖くて緊張しましたが、午前午後と毎日通うことにより、どんどんそんな不安も薄れていきました。

 

退院の目安は息子の場合、体重が2,100グラムを超えたらという条件がありました。この数値は、それぞれの医師の判断やその子の状態によって変わるものだと思いますが、2,300グラムになったら、2,500グラムになったら・・・という情報がある中、2,100グラムで退院することに正直驚きました。

 

それでも、2,100グラムが遠く感じる現状。1,954グラムで産まれても、新生児の生理的体重減少によって息子も1,800グラム程度まで落ちました。

 

そこから、目指す2,100グラム。体重を測るたびに増えたり減ったりを繰り返しながら、徐々に徐々に数グラムづつ増えていく体重。母乳やミルクを飲んで体重が増えても、排出物でまた減る体重。口に入れる重さではなく、体の体重を増やさなければいけない。そんな当たり前のことを理解しているばずなのに、毎回の体重測定で一喜一憂する私がいました。

 

それでも、少しづつ大きくなってくれる息子。私も毎日病院へ通い「大きくなってね。」と母乳やミルクを一生懸命に与えていました。

 

そうして、2~3週間が経った頃でしょうか。なんと、まだ2,100グラムに到達していない2,074グラムで、息子は退院の許可がおりたのです。

 

出産時よりは大きくなったにせよ、まだまだ2,100グラム未満の小さな小さな赤ちゃん。

 

初めて外に連れ出すときは、またあの時の『壊れちゃいそう・・・』というなんとも言えない不安と戦っていました。

 

それまでは、1日のほとんどの息子のお世話を病院に託していた日々。これからは、24時間、このまだ未熟児とも呼べる小さな小さな赤ん坊を、全て家族と協力しながら自分が見ないといけないというプレッシャーが大きくのしかかりました。

 

それでも、すでに私は母親。これまでもたくさんの不安と戦いながら、なんとかやってこれました。

 

そんな退院の日は、この壊れてしまいそうな小さな息子を、しっかり大きく育てようと決意した一日となったのです。