子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

教育虐待について考える その②~好きなことも嫌いなことも取り組むことが本来の教育だと感じる~

昨日に引き続き「教育虐待」について考えていきたいと思います。

 

教育虐待「普通の親が追いつめられ、狂い始める…」その正体は?【「教育」が「虐待」に変わるとき 第1回】|ウーマンエキサイト(2/2)

 

本日はこちらの記事の『教育』と『人材育成』についてです。

 

そもそも教育とは、子どもの持つ能力を、その子らしく最大化して自己実現し、かつ、余った力を社会に還元してより良い社会を作ること。つまり、「教育はまずその子ありき」なのです。

一方で、人材育成というのは、なんらかの目的に合致した人を育てることです。例えば、「わが社にはプログラムができる人材が必要」というふうに。つまり、「人材は目的ありき」なのです。

本来「教育」とは、「どうしたらこの子が輝けるよう育つのだろう?」と、その子を見て考えるべきものなのに、その子を見ずに「これからの時代はこんな人材が求められているから、そういう人材にするためにどうしたらいいのか?」と、型にはめていく発想になってしまっているわけです。 

 

あくまでも、ここでの『教育』と『人材育成』は一個人の考えを引用したものではありますが、これに対して私なりの考えを書いていきたいと思います。

 

結論から申し上げると、私の中での『教育』と『人材育成』は同じ意味を成しています。なぜなら、ここでの子供たちの得意や興味のあることを伸ばす教育も、苦手で興味がなくても目的のために伸ばす人材育成も、将来本人が輝くための土台になり得るからです。 

 

子どもの特技や強みを伸ばすための習い事ならまだ良いのですが、例えば、英語やプログラミングの場合は、将来の職業スキルとして、幼児期からやらせているわけですよね? 「このスキルを身につけておかないと、将来仕事に就けない」というふうに。 

   ※本記事の1ページ目より引用

 

例えば、子供が音楽に興味があるからピアノをやる。子供が泳ぐのが好きだから、スイミングを習わせ技術をみがく。子供が数字が得意だから、算数ドリルを買ったり塾に行ったりする。

 

子供は自分が好きで興味があれば、率先して意欲的に取り組んでくれる可能性が高いでしょう。その際に壁にぶち当たり、乗り越えていくことで得られる成長もとても大きいと思います。

 

ただし、この世の中、自分の好きなことだけで過ごしていけるのでしょうか?その世界で生きていくことができる場合は、本当に幸せなことだと思います。

 

でも、もしその世界で将来生きることができなかった場合・・・今まで、自分が好きで興味があって得意なことで生きてきたのに、いざその世界で生きていくことができなくなってしまったら、他に自分には強みがないと路頭に迷ってしまう可能性もあるのではないでしょうか?

 

さらに、今まで苦手なことや嫌なことを避けてきて、いざその環境に置かれてしまった時は、とても大きなストレスを感じ耐えられなくなってしまうのではないかと思っています。

 

それに、義務教育を過ごす子供たちにとっては、どんどん複雑になり難しくなっていく学習をこなしていかなければなりません。もちろん、学習だけが全てではありませんが、現実的に日々学校で行われる授業。。。そんな毎日を興味がないからやらない、苦手だからやらない、分からないからやらないでは本人が余計に困ってしまうのではないかと思っています。

 

それを受け入れられてしまった子供は本当に幸せでしょうか。その時は楽かもしれない。でも、将来は・・・?

 

将来、自分が楽しく過ごしていくためにも、特に小学校で習う基礎学力はとても必要になってくると思います。いろいろな人たちとコミュニケーションをとる際にも、どんな仕事に就いても、この能力は大きな土台になってくれることでしょう。

 

さらにプラスアルファのことを身に付けることができれば、子供自身が将来選択できる幅が広がっていきます。

 

そのため、私は子供自身が興味がなくても学力を上げるための習い事や、親の判断で英語やプログラミングを習わせることに異論の余地はありません。

 

だからこそ、まずは苦手だからとか興味がないからやらなくていいのではなく、必要なことはしっかりと工夫をしながら、子供の気持ちを整えながら大人が導いていく必要があると思います。

 

そして、そんな世界でも生きがいや喜び、楽しみや前向きな気持ちを見出していく力を身につけていくことが、このストレス社会を生き抜く術となっていくのではないでしょうか。

 

好きなことも嫌いなことも分け隔てなく取り組み、多くの経験をしていくことによって、好奇心や忍耐力、豊かな想像力が培われていくのではないかと思います。

 

また、これらの豊かな経験が、大きな壁にぶつかった時の気持ちの切り替え方やいろいろな対処法を自ら考える力となってくれるのでないかと思っています。

 

子供たちの未来は誰にも分かりません。子供自身もまだ自分の将来を具体的に想像し、それに向かって行動していくことは難しいのではないでしょうか?

 

だから、自分で具体的な考えを持ち、現実社会でどう生き延びるのかを子供自身が考えられるようになった時に、さまざまな選択肢を選べるようにしておくことが親の務めでもあると感じています。

 

これは親の考えを押し付け服従させているのではなく、子供自身が自分たちでしっかりと考えられるようにするための準備だと思っています。

 

 

だからこそ、私は子供が好きなことをやる時間、意識をして学習する時間と意識をしないで学習する時間、そして心身を休める時間を工夫し、子供の様子を見ながら好きなことも嫌いなことにも取り組んでいます。

 

そのため、私にとったらここでいう『教育』と『人材育成』は、どちらも子供の将来にとって必要なことであると感じているのです。

 

 

 

 

私が教育による息子への影響に悩み、様々なことを考え、私なりの結論に至った経緯はこちら

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