子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

④NICUでの入院~母親としての芽生え~

前回のあらすじはこちら↓ 

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無事?に産まれてきてくれた息子は、すぐにNICU(新生児集中治療室)へと運ばれ、様々な検査が行われました。

 

検査の結果は、多血症低血糖。何かしらの問題はあるだろうと覚悟はしていましたが、この聞きなれない病名に不安を覚え、医師に質問をしました。

 

きっと出産前から不安定な私に負荷をかけないためだったのでしょう。

 

「ちょっと血が濃くて、糖が少ないから、点滴しますね。大丈夫ですよ。」とやんわり優しく答えてくれた医師。

 

後々、調べてみると、多血症とは赤血球が通常よりも多くなってしまい各臓器の血流障害を起こして、様々な障害が発生することがあるというもの、また低血糖は血液中のブドウ糖が少なく、脳に障害を残す可能性があるというもので、医師の判断通り、あの時の私にとっては息子の病気の程度に関わらず知らない方が良い情報でした。

 

そうして、血液を薄めるため、また糖を補充するために、小さな小さな息子の体に針を刺し、治療をすることになったのです。

 

 

 

産婦人科病棟には産まれたばかりの我が子と一緒に過ごす母親たち。

 

そして、私は一人ベッドの上で搾乳をする日々。

 

そんな私を出産後の研修など、一般の母親と別にしましょうか?と気遣う看護師さん。

 

でも、出産後の私は想像以上に落ち着いていました。

 

お腹の中で息子の成長が止まってしまったあの日から、無事に産まれてくるのかも分からなかったあの大きな不安とともに出産するまでのことを考えたら、その時の環境は私にとってとても小さなもので、むしろ何も問題なく元気に産まれた赤ちゃんを心から祝福し、他人をうらやむことも妬むことも、自分に劣等感を感じることもなく、その母親たちとも円滑な関係を築いていました。

 

しっかり頑張って治療に励む息子の姿は私に大きな母性を与え、『この子を絶対に守る』という大きな決意を生ませ、日々不安定で弱虫だった私を強い母親に変えてくれたのです。

 

 

 

初めは自分で母乳もミルクも飲むことができなかった息子は、胃ろうで搾乳した母乳やミルクを流し込み栄養を摂っていました。

 

点滴の管、胃ろうの管、血液中の酸素を測る装置、心拍を測る装置など・・・・

 

たくさんの管が取り付けられていた息子を抱っこすることもできずに、保育器の透明の箱に空いた二つの穴から、息子をなでる日々。。。

 

産婦人科で新生児研修をみんなと一緒に受けながら、息子に会うため、そして搾乳したほんの数ミリリットルの母乳を渡すためにNICUへと足を運びました。

 

初めは思うように出ない母乳。しかも、直接赤ちゃんが吸うのではなく、搾乳ですから尚更です。それでも、出産直後の母乳は栄養価が高いとのことで、少しでもほんの少しでもいいから・・・と、頑張っていました。

 

周りの母親たちが、母乳やミルクを与え、体重を測り、オムツを変え、沐浴をし、泣いた我が子をあやしている中、その時の私が息子にやってあげられることはそれくらいだったのです。

 

そんな入院生活が1週間すぎ、息子よりも先に私が退院しました。

 

そうして、息子の数値も少しづつ改善し安定したところで、1つづつ外れていく管。

 

息子は、NICUの中では軽症の方でした。600グラム程で産まれた双子の赤ちゃんや、多くの危機を少しづつ乗り越え、未熟児網膜症を患い何カ月も長い入院生活を送っている赤ちゃん、そしてたくさんの生命維持装置につながれ、意志があるかも分からない寝たきり状態の大きな子供・・・

 

NICUではたくさんの子供たちが戦っていました。

 

いや、子供たちだけではなく、そこに携わる医師や看護師、そして父親、母親。。。みんなが一丸となり、一生懸命に子供たちを想い愛する姿がそこにはありました。

 

そんな環境で学んだこと。それは、この先何があっても我が子を守り抜くこと。

 

あの時のこの強い決心が8年経った今でも揺るぐことなく、そして昨日のことのように思い出されます。

 

そんな強い想いとともに、日々息子のサポートを頑張っています。

 

壁にぶち当たった時に、どう受け止め、どう解釈し、どう行動するか・・・

 

そんなことを土台に日常や学校での生活を教えていきたいと思っています。