価値観の国境を越えませんか?前編~【子の親離れ】ならぬ【親の子離れ】について考える~
先日、初めて息子の【一人自転車】を許可しました。
※ここでいう【一人自転車】とは、子供が「自分の自転車に乗る」という意味ではなく、「自分の自転車で一人で移動する」という意味です。
今まで息子が自転車で移動する際は、必ず私か旦那さんが並走していました。
現在、息子は小学校3年生。
この学年での初めての【一人自転車】は早いのか?普通なのか?遅いのか?
この感覚は人それぞれだと思いますが、私が住んでいる地域では「遅い」です。
早い子では小学校1年生から一人で自転車移動していますが、大半は2年生になってから。
3年生で一人で自転車移動していない子はごくわずかです。
そして、学年があがるにつれ、もちろんその割合はどんどん減っていきます。
私はこの【一人自転車】をさせる時期をずっと迷っていました。
事故に遭った時の取り返しのつかないことを考えると、まだ【一人自転車】をさせるのは心配だな・・・という気持ちがずっとありました。
息子が自転車に乗れるようになったのは、幼稚園年中・・・
発達に問題があっても、運動神経は人並み程度あったため、早めの練習で乗れるようになりました。(初めはなかなか乗れませんでしたが、ゆるい坂道練習によって一気に上達しました)
そこから、機会があればみんなで自転車移動するようにして、その都度「道路の渡り方」「危険な箇所」「絶対に一度止まらないといけない場所」などを繰り返し教えてきました。
そんな練習もすでに数年経って・・・
旦那さんはみんなが【一人自転車】を始めた2年生あたりから、「そろそろいいんじゃない?」といつも言っていました。
でも、一人ならまだしも【一人自転車】を始めた小学生たちと一緒に並走することによって、楽しくなって夢中になって競争したり・・・という中で、果たしてどれだけの交通ルールが守れるのかな?という心配もありました。
実際、低学年の子供たちが公園周辺の道路を「レースしよう!」と言って、すごいスピードで競っているところを目撃し注意したこともありました。
でも、どんどんみんなが一人で自転車移動をしていく中、息子に「だめ」ということも辛くなってきて・・・
だから「みんなと同じように自転車に乗って公園に遊びに行きたい!」という息子の希望を叶えるべく、娘を連れていくことを口実に《子供たちは自転車で、そこに私が並走する》という形をずっととっていました。
見方によっては【過保護】【心配性】といったところでしょうか?
「息子は普通の発達ではなかったし・・・」という気持ちで、日常生活ではほぼ普通の生活ができるようになった息子に対して、❝【一人自転車】をさせてあげたいのにさせてあげられない自分❞をどうにか守ろうとしていました。
私は【一人自転車】に関し、そんな悶々としたちょっぴり後ろめたい気持ちでこの一年半を過ごしてきたのです。
『安全』と『親離れ』・・・
どちらを優先するのか・・・
ただ、幸いにも周りのお友達はよく私が公園にいることに対して「なんでお前の母ちゃんいつもいるの?」ということもなく、特に気にする様子もありませんでした。
(もちろん、基本息子たちの遊びの輪には入らず、公園では娘担当です!いや・・・でもよく一緒にも遊んでたなw←これは心配とかではなくて)
良かった~(^^)普段から仲良くしておいて♪↓
そんな感じで、まだ息子の【一人自転車】を許可できていなかった私。
それが先日、急に【一人自転車】を許可することになったのです。
週末、いつものように家族でそれぞれが自分の自転車に乗って公園に行ったところ、息子の同級生が何人かいて(^^)
しかも息子と仲のいい子たち(^^)
もちろん、そのまま息子はその輪の中へ♪
私たちが持っていったプロペラなどの公園遊具でみんなで遊んだり、子供同士でボール遊びをしていたり♬
ただ、私は家の用事があり、旦那さんは少し体調不良、娘は「疲れたからもう帰りたい」と。
でも、同級生と楽しそうに遊んでいる息子を連れて帰れないです・・・
息子は自転車・・・
そのために「用事のある私」と「体調不良気味の旦那さん」と「帰りたい娘」が残るのはさすがに違うな・・・と。
どこかで踏ん切りをつけたかった私は『このタイミングしかない!』と思い、「5時になったら、ちゃんと気をつけて帰ってくるんだよ~」と遊んでいる息子を残して帰りました。
もう息子が帰ってくるまではドキドキです(笑)
でも、無事に帰宅してくれて(^^)
私、いろいろなところで子育てにおいて【過保護】【心配性】な部分があるんです(^-^;
今までは発達が未熟な息子に対し、それでも良かったのかもしれないけれど、年齢とともにみんなと同じように行動できることも多くなってきて・・・
「息子の自立」を目指す前に、まず私が「息子からの自立」を目指していかないといけなくなってきたなあと思ったわけです。
ただ、言葉では簡単に言っても、今までの私の感覚や習慣などを一気に変えて実行に移すことが気持ちの上でなかなか難しい。
今回の【一人自転車】だって、こういったきっかけがなければまださせていなかったと思います。
過去記事にも書かせていただいたように、❝子供の自立を図るために親の管理下から外すことも重要である・・・❞といった気づきがあったにも関わらず、その親の管理下から息子を外していくペースがゆっくりかなと思います(笑)↓
(↑近隣の「ボーイスカウト」は思ったよりも親の手伝いが多く、本来の目的と私自身の負担を考えて、一旦断念しました。)
もちろん、「親の子離れ」って100人いたら100通りのペースがあっていいと思うのですが、私の場合は自分自身がそろそろ本格的に考えていきたいなあと思い始めて・・・
ただ、そんな「親の子離れ」に関してモヤモヤしていた頃・・・
学生時代の友人たちとランチをする機会があって(^^)
その中には現在バンクーバーに住んでいる友人がいるのですが・・・
みんなでワイワイ何気ない会話ではずんでいたところ、ひょんな話からその子が「カナダでは12歳まで大人が一緒じゃないとだめなんだよ~だから、子供を一人でお留守番とかさせると通報されちゃうの。」と。
(地域によって差があるようです)
【鍵っ子】も当たり前の日本・・・
私は「国によってこんなにもスタイルが違うの?!」と、とても驚きました!↓
【世界の子育て:カナダ】日本との違い多数! 子供は外出禁止も | 子供とお出かけ情報「いこーよ」
その違いには、経済や文化や治安などが関わっているのかもしれないけれど、【安全】に関しては日本もいろいろありますよね・・・
なんだか、その話しを聞いたら「日本の当たり前」「地域の当たり前」に左右されなくてもいいのかな?と。
もちろん、周りとの調和や秩序を守ることは大切だけれど、やっぱり自分のペースで少し「親の子離れ」が遅くなってもいいのかな・・・と思うようになりました。
これは、このブログでも何度か出てきた「周囲の多数派の意見が必ずしも正解ではない」ということと少し通じるものがあるかなあと思います。
また、下記の記事のように【狭い世界】ではなく【広い世界】へ目を向ける大切さを改めて感じました。↓
だから、私は価値観の国境を越え、周りとの【平均】も大切にしながら、息子と娘から少しづつ離れていければいいかなあと思っています。
自分のペースで【管理】を減らして、【心の繋がり】は減らさないように・・・
そんなことに気をつけながら、これから大きくなっていく息子と娘と接していきたいなと感じました。