子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

息子の水着・・・みんなと一緒の安心感~みんなちがって、みんないい~

息子たちの通う学校では、6月の中旬頃からプールが始まりました。

 

そこで、昨年使っていた水着を取り出したところ、息子は「きついよ。」と。

 

そこで私は「大きくなるの早いね~」と、現在スイミングスクールで使っている水着を取り出し、息子に「これでいい?」と聞きました。

 

すると息子は「うん!これでいいよ!きついの嫌だし。」と学校のプールにスイミングスクールの水着を持っていきました。

 

実は私はこの時点で少し心配だったのです。。。

 

学校のプールでブリーフ型の水着を着ている子は少ないんじゃないかな・・・?

 

でも、当日準備をしてしまったので、もう水着はそれしかありませんでした。

(これは私の確認不足でした・・・)

 

それでも、息子はスイミングスクールで毎週履いている水着に抵抗はなかったので大丈夫かな?という思いと、みんなもそんなに気にしないかな?という期待もあり、そのまま持たせました。

 

そして、帰宅後も何も水着のことには触れずに元気に帰ってきた息子くん。

 

「良かった!大丈夫だった(^^)」

 

 

 

・・・・・そして、今日は2回目の学校プールの日。

 

「自分でプールの支度してね~」と声をかける私。

 

すると息子は「この水着、みんなにパンツみたいってすごい言われたから嫌なんだよね・・・」と。

 

 

 

そうか、やっぱり・・・・

 

でも、平気だったと思っていたので、またしても今ある水着は昨年のきついズボン型の水着かスイミングスクールのブリーフ型の水着の二つしかありません。

 

私は息子の気持ちを考え、昨年のきつい水着のゴムを思いっきり引っ張り、少しでも余裕を作って「これを持っていこう!」と渡しました。幸いにもゴムがお腹に食い込むほどはきつくなく、今日一日はこれで何とか乗り切れる感じでした。

 

そして、息子もそれで笑顔になりました。

 

(次回までに新しい水着を購入します!)

 

 

 

 

ここで、私が感じたこと。

 

同じ水着でもスイミングスクールではこれを履くのが当たり前で、学校のプールではこれを履くのがだめになってしまう。

 

本人の気持ちも最初はこの水着を着ることに何の抵抗もなかったのに、周りの意見で嫌な気持ちになってしまう。

 

誰にも迷惑をかけていないのに、周りと違うことでからかわれ責められ、辛い気持ちになってしまう現実・・・

 

なんだろう、この不思議な世界は。。。

 

これは子供たちの世界だけではなく、大人たちの世界でも同じことが言えると思います。

 

❝みんなと同じが安心で、みんなと同じが正解である❞

 

このような世界で、どれだけの貴重な考えや意見や知識や想いが奥底に眠ってしまっていることだろう・・・

 

でも、そんな世界の中でも、大人になれば自分の考えや意見をしっかりと持って、周りに惑わされずに自分の主張をはっきりと発信していける人たちもたくさんいます。

 

でも、子供たちは・・・?

 

みんなと違うことが、からかいの対象となり、それがエスカレートしていじめの対象になってしまったりもする。 

 

 

 

巷でよく聞く『みんなちがって、みんないい』という合言葉。でも、それがしっかりと浸透していないこの世の中。

 

❝みんなとちがっていいんだよ、みんなと同じが必ずしも正解ではないんだよ❞ということを、みんながしっかり理解して心の底からそう思うことができればいいけれど、そう簡単に理想通りにならないのが現実世界です。

 

もちろん息子にもそのとても大切なことは私からしっかりと教えていくつもりです。

 

しかし、息子はまだ❝みんなと同じが安心で、みんなと同じが正解である❞という世界にいる・・・

 

だから、私は昨年の少しきつくなった水着を息子に渡したのです。

 

自分だけがそのことを理解していても、周りの世界が変わらなければ結局息子は辛い思いをしてしまう・・・

 

一人一人がその大切なことを胸に刻んで、子供たちと真剣に向き合っていくことによって、❝みんなとちがっていいんだよ、みんなと同じが必ずしも正解ではないんだよ❞という世界が広がっていけばいいなと思いました。

 

 

 

でもここで重要なのは、『全てがみんなと違うのはいけない』ということです。

 

過去記事「教育虐待について考える その③~教育の根源、そして虐待との境目とは?~ 」にも書かせていただきましたが、下記のように、社会のルールを守る、他人に迷惑をかけない、相手を思いやるなど、人として大切なことはきちんと身に付ける必要があります。

www.jiritsusupport.com

 

これだけ多くの人たちが集団生活をする世の中、もちろん個性やそれぞれの考えも尊重するべきではあるけれど、まずは周りに迷惑をかけない、他人を傷つけない、相手を思いやる、社会のルールは守る、ということなどに必要な大切な知識や行動を身に付ける必要があると思います。

 

そのため、個人の自由はそんな最低限で当たり前のことを土台とした上に成り立つものであると感じています。

 

大人自身もこういった暗黙のルールを身に付けたうえであれば、それぞれの意見や考えをしっかりと持ち、それを発信していくことは何も問題がないことなのではないでしょうか。むしろ、多種多様な意見や考えが集まることにより、世の中の発展につながっていくのだと思います。

 

逆に、社会生活を送るにあたり土台となるこの暗黙のルールが身に付いていなければ、その上に成り立つはずの個々の考えや気持ちが周りに受け入れられづらくなってしまうかもしれません。

 

子供たちはまだそういった大切な土台がしっかりと身に付いていません。だから、土台で失敗をしても私たち大人はそれを受け入れ、その都度子供たちと一緒にどのようにしたら解決するのかを考え教えていきます。そんなことを繰り返しながら、子供たちは大きくなるまでにその土台を固めていくのです。

 

大人になるまでにその土台がきちんと身に付かなかった場合、社会から孤立し、そんな孤独感から自暴自棄になってしまうことがあるかもしれません。 

 

だからこそ、まず子供たちの人権を尊重しながらこういった土台を一緒に築き上げていきたいと思っています。

 

もちろん、子供は物ではありません。親の言うことを聞くロボットでもありません。みんなそれぞれに、気持ちがあり考えがあります。

 

そんな大切な気持ちや意見を尊重できるような土台をしっかりと作り上げていくことが、教育の根源のひとつに挙げられるのではないかと思っています。

 ※過去記事「教育虐待について考える その③~教育の根源、そして虐待との境目とは?~ 」より一部引用。

 

だから、私は自分の子供たちに【人として大切なことをしっかりと身に付けることができれば、自分の考えや意見に自信を持っていい。また、他の人が自分と異なる考えであれば、それを否定する権利はない。】ということを、しっかりと教えていきたいと思っています。

 

 ↓私が子供たちにルールを守る大切さを教えている記事です。

www.jiritsusupport.com

 

また、私のこの思いはこのブログのご挨拶文でもある「はじめまして(^^♪〜ハンディキャップを抱えた子を育てる私の心構え〜 」の最後に書かせていただいている通りです。

あくまでも、個人的な考えや教育方法になりますので、これらを推奨しているわけでも、異なる意見を否定するものでもありません。同じ悩みを持つ方の共感の場になったり、逆に私だったらこうするな・・・とそれぞれの考えの軸が深まればとの思いで書かせていただきます。

 ※過去記事「はじめまして(^^♪〜ハンディキャップを抱えた子を育てる私の心構え〜 」より引用

 

自分なりに感じたこと学んだことを、これからも自分の言葉で綴っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。