子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

子供たちの《探求心》と《安全確保》~ルールを守ってこそ自由がある~

今日もあの【身近な人】に子供たちを連れて会いに行ってきました!↓

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でも、今日はその人の話ではなく、昨日の出来事をお話ししようと思います。

 

昨日、学校から帰ってきた息子は「お友達と約束してきた!」と急いでおやつを食べて、急いで学校の宿題を済ませていました。

 

「どこ行くの??」

 

「山!」

 

え・・・?子供たちだけで山?

 

しかも普段行き慣れている山ではなくて、いつもより遠い場所にある息子は行ったこともない山だと・・・

 

実は我が家は自転車で行ける距離に山もあって、反対側に進めば高層ビル群がある不思議な場所に立地しています。

 

だから「山」といっても、壮大な大自然の大きな山というよりかは、小高い丘に面してるような「山」です。

 

でも、丘よりも大きくて崖もあったり、一歩間違えばうっそうとした森に迷い込んでしまいます。

 

 

 

「山は子供だけで行ったらだめだよ・・・」

 

でも、息子にとったら金曜日は唯一お友達と放課後ゆっくり遊べる曜日・・・↓

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しかも、しっかりお友達の仲間の輪に入っているんだ・・・

 

だから、息子だけ行ってはだめなんて言えない・・・

 

でも、山は危ないよ・・・

 

どうしよう・・・

 

 

 少し悩んだあげく・・・

 

 

 

 

 

そうだ!私も行こう(^^)/

 

私はわざと娘に「お兄ちゃん山行くんだって、どうする?」と聞きました。

 

すると娘は「行きたい!」と。

 

そうだよね(^^)娘も行きたいなら私も同伴しないとだめだよね(^^)

 

という流れを作って、私も娘を連れて待ち合わせの場所に行きました。

 

 

そこには息子と同じクラスのお友達が3人いて、「妹も行きたいみたいなんだけど一緒に行ってもいい?」と聞きました。

 

もうクラスの子供たちとは下記の記事にも書かせていただいている通り、私も仲良しなので即オッケーをもらい一緒に仲良く出発(^^)↓

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そしてみんなで自転車で行ったのですが、思ったよりも遠い・・・

 

近くのお店に自転車を止めて、いざ山の中へ・・・

 

しかもその山は山道が整備されてはいるものの、両脇は急斜面で虫探しばかりに熱中しているとすぐに転げ落ちる環境・・・

 

やっぱり危ない・・・

 

みんな木の上を見ながら歩いていたり、斜面ギリギリのところまで足を運んで虫を捕ろうとしている・・・

 

その都度注意をしながら、私はみんなの安全確保に努めました。

 

何度もこの山に来ている子はどんどん先に進んでいく・・・

 

どこまで行くんだろう?

 

そして、山道の先には広い畑が広がっていました。

 

それでも、他のスポットがあると、まだまだ進む・・・

 

かなりの距離を歩きました。

 

途中道を間違えたりしながら、また別の山へ入る子供たち・・・

 

 

 

 

そして、十分虫探しをして満足した子供たちは家路につくことになりました。

 

ここまでたくさん歩いてきて、きちんと帰ることができるのかな?

 

私は子供たちの判断力を確かめるために、一番後ろをついて歩きました。

 

帰り道は、何度もその場に来ている子が先頭をきって、無事に自転車置き場まで帰ることができました。

 

 

 

でも、結果は無事だったけれど、これはこのまま放置してもいいのだろうか?

 

小学生だけで行くにはあまりにも行動範囲が広すぎて、危険な箇所がたくさんありすぎる・・・ 

 

 

 

そこで私は、夕方たまたま学校に行く用事があったので、そのことを先生に相談しました。

 

 「子供たちの【探求心】を大切にしたいけど、3年生が行くには遠すぎるし危険な場所でした。」と。

 

すると、先生は「学区外は大人が同伴しないと行ってはだめなんです。」と。

 

 

 

そうか、もともと学校の【ルール】があったんだ。

 

でも、子供たちはその【ルール】をはっきりと認識していなかったのかもしれないし、もしかしたら「何度も行ってるし大丈夫だよね?」という考えがあったのかもしれない・・・

 

でも、身に危険が及ぶ可能性もあるから、そうやって【大事なルール】がある。

 

やっぱり、【ルール】は大切。

 

【ルール】にはきちんと目的がある。

 

 

 

だから、先生は「月曜日にきちんと子供たちに説明をします。」とおっしゃってくださいました。

 

 

良かった・・・

 

 

これはその場で私が子供たちに「危ないからやめよう。」と注意をするよりも、きちんと学校から全体に向けての【ルール】として説明してもらった方がいい・・・

 

なぜだめなのか、なぜ【ルール】があるのかという大事な話を、学校なりの方法で先生から話してもらった方が子供たちも素直に受け止めてくれる可能性が高い。

 

しかも、学校から説明されることによって、自分たちだけが注意を受けているのではなく、みんなに対して認識するべき【大事なルール】という位置づけができる。

 

 

 

私は個人的に息子や娘には【ルール】を守る大事な意味を下記の記事のように教えているつもりではありますが、他の子に対してはそこまでする権利はない・・・↓

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親御さんによって教育方針がみんな違うので、私の教育方針を他の子供たちに押し付けることはできない・・・

 

だから、今回の場合は私からではなく学校からその大切な話をしてもらう流れができて良かったと思っています。

 

 

 

その場では『学区外は子供たちだけで行ってはだめ。』という【学校のルール】を私自身も知りませんでした。

 

もちろん、先に知っていたらその場で注意をしていたでしょう。

 

でも、そもそもどこまでが学区内で、どこからが学区外かが分からない・・・

 

だから、そこも踏まえて子供たちに分かりやすくスポットなどを紹介して、学校から説明してもらうようにお願いしました。

 

 

 

やはり、今回の件を通しても、過去記事「教育虐待について考える その③~教育の根源、そして虐待との境目とは?~ 」にも書かせていただいた通り、個人の自由は【ルール】の上に成り立つものであると感じました。

 

未成年の特に小さな子供たちは親たちの管理のもと日々を過ごしていると思いますが、それは社会生活を送るにあたってまだ未熟な部分が多いために、さまざまな危険から子供たちを守るため、また子供たちが大きな問題を起こさないようにするためでもあると思います。

 

そのために、社会のルールを教え、社会で生きていくために教育をしていく・・・それは子供たちのためにもなり、社会のためにもなっていく。

 

これだけ多くの人たちが集団生活をする世の中、もちろん個性やそれぞれの考えも尊重するべきではあるけれど、まずは周りに迷惑をかけない、他人を傷つけない、相手を思いやる、社会のルールは守る、ということなどに必要な大切な知識や行動を身に付ける必要があると思います。

 

そのため、個人の自由はそんな最低限で当たり前のことを土台とした上に成り立つものであると感じています。

 

大人自身もこういった暗黙のルールを身に付けたうえであれば、それぞれの意見や考えをしっかりと持ち、それを発信していくことは何も問題がないことなのではないでしょうか。むしろ、多種多様な意見や考えが集まることにより、世の中の発展につながっていくのだと思います。

 

逆に、社会生活を送るにあたり土台となるこの暗黙のルールが身に付いていなければ、その上に成り立つはずの個々の考えや気持ちが周りに受け入れられづらくなってしまうかもしれません。

 

子供たちはまだそういった大切な土台がしっかりと身に付いていません。だから、土台で失敗をしても私たち大人はそれを受け入れ、その都度子供たちと一緒にどのようにしたら解決するのかを考え教えていきます。そんなことを繰り返しながら、子供たちは大きくなるまでにその土台を固めていくのです。

 

大人になるまでにその土台がきちんと身に付かなかった場合、社会から孤立し、そんな孤独感から自暴自棄になってしまうことがあるかもしれません。 

 

だからこそ、まず子供たちの人権を尊重しながらこういった土台を一緒に築き上げていきたいと思っています。

 

もちろん、子供は物ではありません。親の言うことを聞くロボットでもありません。みんなそれぞれに、気持ちがあり考えがあります。

 

そんな大切な気持ちや意見を尊重できるような土台をしっかりと作り上げていくことが、教育の根源のひとつに挙げられるのではないかと思っています。

※過去記事「教育虐待について考える その③~教育の根源、そして虐待との境目とは?~ 」より引用。

 

これからも、その都度学校と協力しながら、子供たちにこの【大切なルール】を教えていきたいと思っています。