【社畜】という言葉から感じたこと~この世の中、不必要な仕事はありません~
みなさま、おはようございます(^^)/
今日は久しぶりに朝更新です!
実は、私はミクシィが流行っていた頃からフェイスブック・インスタグラムをはじめ、ネットの世界には存在しない人でした。
そして今年の5月、このブログと同時にツイッターを始めました。
こうして今まで以上に様々な情報が入ってくる中、そこで初めて【社畜】という言葉を知り、衝撃を受けました。
この【社畜】とは・・・
主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤も厭わない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。
とても怖い言葉なんですね・・・
でも、実際《ブラック企業》という言葉が出てくるほど、この世の中にはさまざまな会社があるのだと思います。
だから、この【社畜】という言葉もあるのかな・・・
でも、ここでとても気になったことがありました。
あるツイッターで【元社畜】と公言される若い方が、一念発起をして多大なる「富」と「時間」を手に入れたと。
うん、とても素晴らしいことですね。
でも、ちょっと気になることが・・・
世の中全般の方に対して、「長時間労働の安月給、そして満員電車に揺られながら、いつまで社畜をされているんですか?」と・・・
うーん、大変申し訳ないのですが、これは少し浅はかな考え方かな?と思ったんです・・・
自分自身が【社畜】だな、と感じるのは自由なのですが、この【社畜】という言葉は相手に使ってはいけないのではないかな?と感じました。
だって、その方が【社畜】だと思っている環境の中でも、世の中には一生懸命に働いていらっしゃる方もたくさんいて・・・
それを自分の物差しで【社畜】という悪い言葉を使って表現してはいけない、と思ったんです。
法律を犯している会社は別として、どんな仕事でもどんな会社でもこの世の中には必要なものなんですよね。
例えば、みんながみんなこの【社畜】という言葉を使って会社を辞めて、もっと時間をかけずにもっと稼げる仕事に就いたとしたら、この世の中はうまく回っていくのでしょうか?
そんなことはないですよね?もしそれが実現したとしたら、世の中にすごい偏りができて、社会が成り立たず、結局多大なる「富」や「時間」を求めていた人たちの首を絞めることにもなりかねないわけです。
だから、私はどんな仕事も必要なのではないかな?と思っています。
もちろん、個人が自身を【社畜】と感じた場合、その環境から離れて新しいことを試みることは 素晴らしいことだと思います。
でも、そう思っていない人もいるわけで、そういった人たちも含め【社畜】と表現してしまうのは違うのでないかな?と思っています。
子供向けのDVDに、こんな内容の物語が収録されていました。
それは・・・
幼稚園児の子供たちが園の《音楽発表会》に向けて、まず自分がどの楽器を担当するのかを決めるんです。
すると、子供たちは一斉にアコーディオンや木琴など目立つ楽器に集中し、タンバリンや鈴などの一見地味な楽器には目もくれないわけです。
そこで、先生が大切な話をします。
「どの楽器も大切な役割があって、そのひとつでも欠けると音楽は成り立たないんだよ。全ての楽器があるからこそ、それがひとつの音になって綺麗な音楽を奏でるんだよ。」
そして、この話を聞いた子供たちは、嫌がっていたタンバリンや鈴を手に取り、「僕はこれをやるよ!私はこれにする!」とさまざまな担当に分かれることができたわけです。
・・・そう、この大切なお話しと、この世の中の仕事の話は、通じるものがありますよね?
どんなことでも必要なもので、それらがあるからこそうまくいくんだよ・・・と。
だから、私は自分の子供たちにも何か機会があればこういった話をしていこうと思いました。
表題に「この世の中、不必要な仕事はありません」と書かせていただきましたが、もちろん先ほども言った通り、法を犯す働き方は許されるものではないと思いますし、仕事を効率よく行うために、効率の悪い仕事はどんどん見直しをしていくべきだと思っています。
私が言いたいのは、仕事の種類によって【社畜】という言葉を使い、相手を見下してはいけないのではないかな?ということです。
たとえ自分の理想通りではなくても、生活のためやその他さまざまな理由のために一生懸命に頑張って働いていらっしゃる方たちは、この世の中にとってとても大切な存在であるということです。
いろいろな働き方があっていい・・・
全ての仕事は「誇り」あるもの・・・
私はそう思っています。
今日もみなさまいってらっしゃいませ(^^)/