子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

⑨子供の予測できない行動~常に周りの【支え】に感謝の気持ちを~

前回のあらすじはこちら↓

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全ての発達が遅かった息子の次の大きな目標は❝ひとり歩き❞です。

 

10か月頃に❝つかまり立ち❞をしてから、またなかなか歩くところまでスムーズに発達しない・・・

 

かまり立ちもとても不安定で、手できちんと体を支えていないとすぐに倒れてしまう。

 

だから、我が家はいつも自作のトイレットペーパーの柵があり、息子の移動範囲は全て柔らかい敷物を敷くようにしていました。

 

 

そんなある日・・・

 

バタン!!ギャアアアアア!!!!

 

息子が手を滑らせ前にそのまま倒れ、おでこをベランダの固いサッシの角に強くぶつけてしまいました。

 

ギャアアアアアア!!!!ギャアアアアア!!!!

 

 

すさまじい勢いで泣きわめく息子。

 

すぐに駆け付けた私はそのおでこを見て驚きました。

 

 

おでこが縦にへこんでいる・・・・

 

 

「どうしよう!」と思う間もなく、私は電話を手に取り救急車を呼んでいました。

 

「すみません!息子のおでこがへこんでいるんです!すごい泣いているんです!!!」

 

すると、電話先の担当の方は冷静に「しっかり泣いていますか?吐いたりしていないですか?目つきはどうですか?」などと適切な対応をしてくださり、その時に私は息子が「大事には至っていないのだな・・・」ということを感じました。

 

でも、大きくへこんだおでこ・・・

 

そのまま10分以内くらいに救急車が到着しました。

 

 

 

そして、救急隊の方たちが到着した頃には息子は泣き止み、おもちゃで遊び始めていて・・・

 

おでこもさっきまでへこんでいたのに、今度は大きく腫れている・・・

 

どうなっているのだろう・・・

 

 

全ての状況を救急隊の方にありのままを説明し、救急の状態ではなかったことを謝りました。

 

すると、救急隊の方は「大丈夫ですよ。僕にも子供がいます。子供が頭を強くぶつけたらお母さんはびっくりしますよね。大丈夫な時もあるし、危険な時もある。だから、心配な時は僕たちを呼んでいいんですよ。いつでも、すぐに駆け付けますから・・・」

※私が言えることではありませんが、救急車を呼ぶか迷った時は【相談センター】もありますので、みなさん適切なご判断を・・・むやみな救急車の要請はお控えください。

 

息子の育児にいっぱいいっぱいになっていて、さらに急に頭をぶつけてパニックになっていた私に、その救急隊の方はやさしく語り掛けてくださいました。

 

妊娠中の子宮内胎児発育不全で息子が大きくならなくなってから、常に不安と隣り合わせだった私はその暖かいやさしい言葉に涙が出そうになりました。

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そして、お医者さんやこういった救急隊の方たちがいるからこそ、私たちの命は守られているのだなあ・・・ということを改めて感じました。

 

いつもこのブログで書いているように、人は一人では生きていけず、みんなに支えてもらっている』というわけです。 ↓

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そのまま救急車に乗って、念のため総合病院へと運ばれた息子。

 

頭部のレントゲン写真を撮り、頭蓋骨が無事だったのを確認して、「数日体調に変化がないか様子をしっかり見てください。」ということで帰宅をしました。

 

レントゲン写真を撮影する時は大泣きして大暴れをしてしまうので、小さな息子の体はベルトでぐるぐる巻きにされて・・・・

 

「ごめん・・・ベランダのサッシは盲点だった・・・下に何も台がないからつかまり立ちはしないと思っていた・・・私がそこを危険だと気づいていたら・・・」

 

 

少しでも発達の遅い息子を傷つけないようにと、一生懸命トイレットペーパーで柵を作って、柔らかい敷物で転んでも大丈夫にして、固い台も置かないようにしていたのに・・・

 

初めての育児で子供の行動を全て予測するのは無理でした。

 

でも大事に至らなくて良かった・・・

 

これでもっと私が気をつけることができる。

 

これが、不幸中の幸い。

 

 (へこみの傷は数年残りましたが、今ではとても綺麗なおでこになりました♪)

 

 

そして、数日後も特に体調に変化が現れないまま、息子は元気に過ごしていました。

 

それから、また普段のバタバタ忙しい育児と家事をこなす私。

 

1歳を過ぎてもまだ歩けなかった息子は、基本的にベビーカーか抱っこひもで買い物に行ったりお出かけをしたりしていました。

 

この時はどんどん体重も重くなり抱っこをするのも大変になってきて、まわりでとことこ歩く同い年くらいの子供たちがうらやましかった・・・

 

でも、その時の私は息子が歩けるようになってからの悲劇を知るすべはなかったのです・・・