子供の幸せを願って

~未熟児で産まれ、知的障害・言語発達遅延を患った息子の成長において私ができること~

【補足しました】教育虐待について考える その④~【虐待】という言葉が乱用されることによる危険性~

【補足】

さまざまな方からのご意見で気づいたこと感じたことを書かせていただきます。

 

まず、私自身も文中に書かせていただいている通り、【子供の気持ち】が一番大切だと思っています。

 

そのため、日々どう気持ちを切り替えたりコントロールをしていけるのかを考えているわけです。今のところ、娘も息子も【大切な気持ち】を保ちながらやってこれているとは思いますが、その【大切な気持ち】が壊れるまで教育を重視するのは【虐待】であると思っています。

 

私が申し上げているのは、その【大切な気持ち】を壊してしまう前段階の話をしており、子供たちが【大切な気持ち】を壊してしまう程の執拗な教育は【虐待】であると感じています。

 

そのため、【教育虐待】という言葉を使わないという旨の文面はこちらの補足にて訂正とさせてください。

 

あくまでも、子供の気持ちありきの教育です。子供が【大切な気持ち】を壊してしまう前段階で、可能な限り工夫をして可能性を広げてあげることはできないか?という趣旨の記事となります。

 

言葉足らずではありましたが、こうしてみなさんからのご意見をいただけることによって、私自身も改めて感じる自分の考えや、新しい考えの発見につながります。

 

ご意見をくださった皆様、本当にありがとうございましたm(__)m

 

 

 

 

最近よく【教育虐待】という言葉を目にする機会が増えています。

 

昨日はこのような記事がありました。

中学受験による「教育虐待」を防ぐために(矢萩邦彦) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

まず(1)「目的が合わない、あるいは時期が早い」は、何のために中学受験をするのか主体的に腑に落ちていないケースだ。将来の夢も曖昧なのに、「何になるにしても中学受験が有利だ」というのはいささか乱暴な論理である。発達段階や個性に合わせた目的をしっかり合意していれば、たとえうまくいかなくても本人は前向きに納得でき、それも経験として次のステップに進める。受験自体が目的になってしまわないように、将来の目標ややりたいこととの関係などをしっかり考えて紐付けておくことが大事だ。

次に(2)「方法が合わない、あるいは時期が早い」は、勉強方法が合っていないケースだ。教え方や考え方、授業やテスト、評価方法など様々な方法的齟齬が考えられる。そもそも一般的な中学受験勉強が合っていない場合であっても、探究型や思考力型の塾など、従来型の詰め込みではない学習方法や、そのような学びでも対応できる相性の良い学校を探すことで、充実した受験にすることができる。入試方式の相性が良いほうが、入学してからもその学校の学びとの相性も期待できる。

最後に(3)「場や人が合わない」は、雰囲気や価値観、コミュニケーションのスタイルなど言語化しにくい部分の相性が悪いケース。これが1番どうしようもないが、本人も何が合わないのか言語化が難しいので、本人の努力不足のせいにされてしまいがちだ。本当に合っているなら、出かける時も帰ってくる時もある程度ポジティブなはずで、表情が暗かったり、休もうとしたり、どんなことがあったのかを報告しなくなったら注意が必要だ。相性が悪い場や人に「努力」あるいは「我慢」して関わり続けることには、あまり意味がない。せっかくの興味や可能性を潰してしまいかねない。

 

まず、初めに私は我が子の中学受験は目指しておりません。そのため、中学受験の詳細は全く分かりません。

 

ただ、この中学受験に対して【教育虐待】という言葉が多く溢れていることに少々疑問を感じております。

 

もちろん、子供たちは誰でも親の希望ではなく、自分自身の思いで勉強に立ち向かっていく志が必要だと思っています。

 

では、その志を作ることができずに勉強に取り組むことになった子供たちは虐待を受けているのでしょうか?

 

【自分の気持ち】ではなく、【親の希望】で「親にやらされている」と感じながら勉強をしている子供たちは不幸で、将来必ずしもマイナスの影響が出てくるのでしょうか?

 

私はそれは違うと思います。

 

志を作ることができなくても、勉強が嫌でも、その努力した結果が自分の自信につながることだってある。

 

そして、そこで得た知識や学力や忍耐力や精神力が将来大きな力を発揮することだってあるのです。

 

もちろん、毎日嫌で辛くて苦しくて、もうやりたくなくて・・・・そして大切な気持ちを壊してしまうこともあるかもしれません。

 

でも、どちらに転ぶかは誰にも分かりません。

 

だから、そんな不確定な未来を【虐待】という言葉を使い、今現在勉強を頑張っている親御さんたちに対し肩身の狭い思いをさせてしまうことは問題なのではないか?と思っています。

 

 

 

また、志の高い子供たちだけを選抜して質の高い教育を行うのではなく、中学受験に関わらず、勉強に苦手意識を持っている子供たちにもさまざまな教育をしていくことが、本来の平等な教育なのではないでしょうか?

 

もちろん、追いつめて勉強させるのではなく、出来る限りの工夫と子供の心のケアが最重要課題となってきます。そうしていくことによって、少しでも前向きに学習に取り組める姿勢が作れるかもしれません。

 

『やる気がないならやらなくてもいい』というのは、私はその子を見捨ててしまっているように感じてしまうのです。

 

幼稚園無償化をはじめ、これだけ日本がさまざまな学費を援助していくと謳っている背景には【全ての子供たちに平等に質の高い教育を受けさせる】ことを目的としているのだと思います。

 

だから、志ひとつでその貴重な機会を【虐待】という言葉で奪ってはいけないのではないかと思っています。

 

 

 

今は社会全体が【虐待】にとても敏感になっています。

 

もちろん、【虐待】はいけないことです。

 

ただ、この【虐待】という言葉には、とても一言では言い表せることのできない難しい問題がたくさんあります。

 

だからこそ、世の中がこんなに簡単にこの【虐待】という言葉を使ってはいけないと思っています。

 

さまざまな媒体でこの【虐待】という言葉が溢れることによって、本来輝くはずの能力がなくなってしまう可能性すらあるのです。

 

例えば、世の中のお医者さん、科学者の方々、研究職の人たちなどは、私には想像もつかない程の尋常ではない莫大な量の勉強をされてきたのだと思います。

 

そして、その全ての人たちが自分の意思だけでこの辛い勉強をしてきたとは思えません。

 

中には「親に言われたから」とか「親も同じ職業だったから」という理由もあるかもしれません。

 

それでも、実際多くの人たちを救い、世の中に偉大な貢献をしている人たちがいる現実を忘れてはいけません。

 

そして、子供の頃は勉強が辛かったけど、そういう仕事を通してやりがいを感じ、たくさんの人たちに「ありがとう」と言われることが幸せに感じることもあるのではないかと思っています。

 

現実的に小学生の頃から自ら強い志を持って、辛い勉強に自ら挑む子供たちはそんなに多くないと思います。

 

もし、全て子供の気持ちを受け入れた教育をするのであれば、世の中のバランスが崩れてしまう恐れもあると思います。

 

医師が減り、科学者が減り、研究者たちが減り、世界が混乱してしまうかもしれない。

 

もちろん、上記に限らずどんな職業でも全てなくてはならないもので、みんなが協力し合って生きている。

 

だからこそ、【教育】を【虐待】と表現してはいけないと思っています。

 

 

 

また、『早期教育は良くない』という言葉もありますが、私は『早期教育』をしてきたからこそ、今の息子がいると思っています。そして、たくさんの力をつけた息子は毎日楽しそうに学校へ通い、たくさんの笑顔を私に見せてくれます。

 

私は教育に詳しくないので、【早期教育】によるマイナス点ももしかしたらあるのかもしれない・・・

 

でも、大変な思いをしても辛い思いをしても、親子で頑張ってきた日々の生活が今はとてもプラスに働いています。

 

 

 

前回の記事「発達凸凹息子の成長~どんどん高くなる山をどう乗り越えていくか・・・継続は力なり~ 」にも書かせていただきましたが、私自身も供たちに【親にやらされているという感情】を持たせることなく、【自分が自分のためにやっているという志】でこの学習に臨んでいってほしいと思っています。

www.jiritsusupport.com

 

もちろん、この辛い戦いを少しでも前を向いて歩んでいけるように、子供たちにも『何のための勉強か。誰のための勉強か。』という話はしっかりと話し、理解させているつもりです。(詳細は別記事で書きます)

 

でも、相手はまだ子供・・・

 

それでも「やりたくない!疲れた!」という時だってある・・・

 

そんな時、私もイライラして怒鳴ってしまうこともあります・・・

私は、全てを冷静に捉えられるほど完璧な人間ではありません。

 

では、この時点で勉強をさせるのは【虐待】なのか?

 

これを簡単に【虐待】と表現されてしまうと、正直とても辛いです。

 

 

 

また、巷では『虐待に気づいていない親』という表現もよくあります。

私は虐待に気づいていないのかもしれませんが、本当に心の底から子供のことを想い行動しています。

 

 

私自身、この大変な学習が、そして私のこの教育がどのような影響を与えるのだろう・・・・といった不安はあります。

 ↓この記事を読んでいただければ分かっていただけると思います。

www.jiritsusupport.com

 

でも、上記記事のように、今後のリスクを想定して今の行動を制限するよりも、明るい未来を想像して今の行動を決めた方が、将来どちらに転ぶにせよ後悔しないと思ったから、私は自分の道を信じ一生懸命に人生をかけて頑張っています。

 

 

 

誰にも分からない未来・・・・

 

それを、不確実な情報で判断するのはとても危険です。

 

だからこそ、それぞれの価値観でそれぞれの思いで今の行動を決める。

 

もちろん、辛い苦しいばかりではなく、どのようにしたら負担を減らすことができ、どうしたら気持ちのコントロールをしていけるかを試行錯誤していく。

 

そして、親の希望だけでなく、子供の希望もしっかりと受け入れながら、親子の関係を円滑に築いていく・・・

 

 

 

少し【中学受験】から話がそれてしまいましたが、私が言いたいのは❝一生懸命に子供のことを考えている親御さんに対し、それを非難する言葉は現れてはいけない❞ということと、❝全ての子供たちが教育を受ける機会を【虐待】という言葉で奪ってはいけない❞ということです。

 

もし、周りの意見を聞くことをすれば、すばらしい未来が確約されるのでしょうか?

 

私はそんな保証はどこにもないと思います。

 

ただ、『周りの意見を聞かなくていい。』と言っているわけではありません。

 

さまざまな意見やアドバイスから、自分なりの方向性が変わってくるかもしれない・・・

 

むしろ、さまざまな考えや自分とは異なる意見に積極的に耳を傾けることによって、新たな気づきがあったり、更なる自分の軸が深まったりしていくプラスがあります。

 

一番大事なのは、たくさんの情報をいったん自分の中に取り入れ、その中から自分なりの考えを確立していくことです。

 

 

 

このたくさんの人々が暮らす世の中・・・

 

多数派の考えや意見が必ずしも自分の状況や環境に合うとは限りません。

 

だからこそ、みんながそれぞれでいいと思っています。

 

どの思考がだめで、どの方法が良いなんていう判断基準はどこにもないと思っています。

 

 

 

中学受験を目指し日々奮闘されていらっしゃる親御さんたち・・・

 

あの時、こうしておいたら良かった・・・と後悔しないように、いろいろな情報を受け自分がしっかりと納得した上であれば、自分の道を迷わず進んでいっていいと思います。

 

納得せずに進んだ道で何かあれば、それは【後悔】になってしまう・・・

 

でも、納得した道で何かあったら、それは【反省】に変わる・・・

 

だから、この【虐待】という言葉に惑わされずに、自分なりの信じる道を自分の責任で突き進んでいってもいいのではないかと思っています。

 

学力はすぐに身に付けられるものではありません。これはハンディキャップを抱えた息子だけでなく健常児の子供たちにも同じことが言えると思います。

 

だからこそ、たくさんの積み重ねが必要になってくる・・・

特に高いレベルを目指す場合は、やはり幼少期からの小さな積み重ねが大きな力を発揮するのではないかと思っています。

 

ただし、これは子供の気持ちを無視しても良いということを言っているわけではありません。

 

まずは子供ありきです。子供の気持ちが壊れてしまわないよう最大限の工夫やサポートが必要となってくると思います。

 

まだ幼い子供たちは具体的な将来を想像することができないからこそ、今のうちからその将来の可能性を広げるために、中学受験に一生懸命取り組むことも一つの方法だと思います。

 

【教育】を全て子供の気持ちを汲みながらやっていくことは、なかなか現実的に厳しいこともあります。

 

だから「子供の意思に反している」=「虐待」と安易に直結させずに、もっと深い部分で考えていく必要があると思っています。

 

私の子供たちは中学受験はしませんが、都度さまざまな考えや意見を吸収しながら、自分なりの教育を確立し、子供と一緒に私も成長するつもりでやっていきたいと思っています。 

 

最後に一つだけ・・・

 

子供たちに教育熱心な親御さんたちは、決して虐待をしているわけではなく、たくさんの愛情を持ってお子さんに接しているということです。

 

日本の未来を担う❝子供たち❞という宝を【虐待】という言葉を使わずに、みんなで一生懸命に育てていきませんか?

 

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